カテゴリ:言葉談義( 27 )

 

省略もほどほどに

d0013739_09443928.jpg 最近、新聞の「サ高住、トレセンをヒントに」の見出しに目が行った。この「サ高住」とは一体何んだと。そう思いつつ記事を読み進めると、どうやら「サービス付き高齢者向け住宅」のことるらしい。もっともそれさへ良く分からないのだが、記事には括弧書きで(サ高住)とあり、いかにも良い略称だろうと鼻高々の感が漂っている。ついそこに気を取られて肝心の内容が全然頭に入らない。”サ高住とは何だ” 外にもう少し云いようがあるだろうと、その思いが先に立って気持ちが飛んでしまったのだ。もちろんこの略しすぎて分けの分からない新語に呆れている。せめて”奉付高齢者住宅”くらいに止めて欲しかった。
 近頃、この手の省略が多すぎる。しかも若者特有のカタカナ語の多用だ。これでは高齢者には何のことかサッパリ分からない。せめてこういうことなのかと憶測がつく程度に止めて欲しいもの。
 実は我が町のローカル新聞がやはり同様の傾向にあって日頃から不満の種であった。それも記者が勝手に作った略称が紙面に踊っていて、どうしても違和感が先になってしまう。もう少し何とかならないかと常々思っていただけに、あの全国紙でもそうなのかと歎かざるをえない。
 あまりに略しすぎた新語。それもカタカナ語を多用した新語はもう少し何とかならないか。それには若い記者の再教育が必要なのかも知れない。尤もこれはボーッと生きてきた老人のたわごとと云われては返す言葉もないが・・・・・。
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by natsuman | 2018-11-25 09:48 | 言葉談義 | Trackback | Comments(2)  

かなりってどのくらい

d0013739_09053926.png 近頃、テレビの気象番組が盛んに云う。
台風○〇号は今夜半、○〇地方に「かなり」接近します。なんてね。
その度にボクは云う。テレビに向かって。局にはもちろん届かないけれど。
「かなり」ってどのくらいかね?
50キロか、それとも100キロ位か?
そんなはっきりしない概念で台風の接近を説明するのはどんなもんでしょう?
国民はもっと確からしい情報を求めているんじゃないかね。
ホントは云ってる側も確信がないまま、どうも適当に言葉をつないでいるかのように見える。
「かなり」いいかげんですな!

なお、いい加減と良い加減とでは意味が正反対になる。
いい加減は本来は好い加減と書く。「良い程合い、適当」なのだが、
一方、「情理を尽くさない、深く考えず無責任なこと」の意味もある。
昔、そういう役どころで世の中を風靡した映画がありましたな。
何事も良い加減は歓迎されるが、いい加減は嫌われます。
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by natsuman | 2018-08-10 09:08 | 言葉談義 | Trackback | Comments(0)  

挨拶は代表一人でいい

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 一度気にし出すといつまでもひっか掛かることがある。最近気になるのはアナウンサーの終わりの挨拶。大抵は男女二人がペアで、番組終わって一人が「失礼します」などと口にする。するとすかさずもう一人が同じ言葉で「失礼します」と繰り返す。
 何も二人がそれぞれ挨拶しなくてもいいじゃないか。一人が代表して口にすればいい。あとは同意のそぶりを示すだけでいい。復唱じゃないんだから。
 それだけではない。右へ倣えとばかりの言葉の繰り返しが気になる。馬鹿の一つ覚えじゃあるまいし、外にもう少し云いようがあろうとね。もし上手い言葉が見つからなければ軽く会釈するか目線で同意を匂わせればいい。自動人形じゃあるまいしいたずらに言葉を繰り返すのは何とも幼児的と指摘しておこう。
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by natsuman | 2018-07-18 09:51 | 言葉談義 | Trackback | Comments(0)  

清々しい

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それを聞いて急に高校時代の国語の時間を思い出した。
誰だったかは忘れたけれど、指名されて教科書を読まされた。
その一節に「神々しい」の語句があった。
彼は「かみがみしい」と読んだ。
すかさず教師から指摘を受けた。「こうごうしいと読みます」と。

似たような語に「清々しい」がある。
それをサッカーの本田圭佑が「きよきよしい」と云った。
彼は、漢字を知らないものでと弁解した。
でも知らなかったとは思いにくい。
「すがすがしい」を、あえて「きよきよしい」としたのだ。
何か世間受けをねらってのことのように思える。
すかさず長谷部が誤読ではないとカバー。
ホントのところは良く分からない。
スターが口にすると誤読も新語になるというわけ。
どうやら新しい新語がうまれたようだ。
時代はどんどん変わって世は「きよきよしい」時代に突入か。

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by natsuman | 2018-07-11 09:28 | 言葉談義 | Trackback | Comments(0)  

お入り下さい

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なぜ「下さい」と云わないのか。云えないのか。
「お入り下さい」、「お受け取り下さい」
「お帰り下さい」と例を挙げるまでもなく、
「下さい」は、いただきたい、頂戴したいなど、
相手に事物を請い求める意を表すときに使うことばだ。
元は「くださる」の命令形「くだされ」の口語形とも広辞苑にはある。
軍隊なら「入れ!」てなわけだ。

それが「~してもらっていいですか」に代わってしまった。
それでは老人には何のことか分からない。
やむなく「ああいいですよ」なんて返答してしまう。
行動を促しているなんて、これっぽっちも思っていない。
じっと次の投げかけを待つことになる。
云った方は怪訝だ。云われた方も怪訝だ。
会話が通じない。

思えば若い人の会話から「下さい」が消えた感がある。
原因に敬語の混乱があるのだろう。
直截的で乱暴なことばがややもすれば飛び交いがちな青少年も、
やがて社会に出ればときに丁寧な物言いが必要になる。
しかしことばに対する教養が無い。
そこにある種の誤解が生まれてくる。

得てして受動的な言い回しにする。
それでもって丁寧な言い回しだと誤解する。

受動態は一見言葉遣いに柔らかさを感じる。
その一方、語りかける意思の曖昧さ・弱さも伴う。
ある主「忖度」が必要な世界かもしれない。
その分、意思の伝達力が弱くなる。
要ははっきりしないのだ。

「入ってもらっていいですか」と看護婦さんが手招きした。
手招きしたから、これは入れとのことと理解出来る。
だが「もらって」が分からない。
「お入り下さい」の一言でいいのだ。

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by natsuman | 2018-01-28 09:47 | 言葉談義 | Trackback | Comments(0)  

それはない

先日、ラジオを聞いていたら妙なことを云う。
最近、運動会の花火の音が少なくなった。
街中ではあの音がうるさいと苦情が出るという。
で打ち上げなくなったというもの。
時代も変わったもの。とここまではいい。
だが対応する男がトンチンカンだった。
エッ、運動会で花火を上げるんですか。
知らなかったなあ。何のために?
今日の運動会は予定通り行いますという合図ですよ。
だって昼間じゃ花火打ち上げても見えないじゃないですか。
オイオイ、この男、本当に知らないんですな。
アナウンサーのはずだが、一体どこの育ちだろう。
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新聞にも妙なことが。
かって佃の渡しというのがあった。
曳き船が人々を乗せた台船を曳いて川面を渡っていた。
ポンポンと蒸気の音を響かせてと。
エッ、何だ? ポンポン音が蒸気船だと?
蒸気船は言い換えれば海のSL。
シューシュー云う音はしてもポンポンなんて音はしない。
ポンポンは内燃機関特有の排気音。要は蒸気船であるはずがない。
ポンポン船は内燃機関搭載の船のことだ。
それも相当に回転数の低い、いわゆる低速エンジンの類だろう。

農発というのがある。昔、農地で盛んに使われた小型の石油発動機だ。
シンプルな単筒エンジンだから、正にポンポンという音がする。
近頃、これを趣味で集めては廻して楽しむ人が増えた。
それと同じで初期の未発達の内燃機関は回転数が低かった。
気筒数も少ない。まして消音装置が不十分だった。
爆発音がそのまま排気と一緒に出る。それがポン、ポンと鳴り響く。
代表は焼き玉エンジン。もしくは2~3気筒の低速ディーゼルエンジン。
記者は懐かしさのあまりポンポン音を蒸気船としてしまった。
でも明らかな間違い。
そんなエンジンも今では博物館にでも行かないと見られなくなった。
あ、いや、農発の運転会に行けば聞けるか・・・・。
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by natsuman | 2017-12-03 09:54 | 言葉談義 | Trackback | Comments(0)  

句読点の効果

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昨日、政府広報の言い回しに少々疑問を投げた。
だがこの手のちょっと手を入れたくなる言い回しは実はとても多い。
世にコピーライターなる商売がある。
彼らは言葉の意味を大切にし慎重に扱う。
そこまでとは云わないものの少しは見習うべきかもしれない。

最近ひどいのはweb上のものだろう。
ひどい日本語が溢れてる。
また意外に多いのが週刊誌や新聞の見出し。
サッと見ただけでは何のことか分からない。
記事を読んで思わず、エッ、なんだ、見出しと違うじゃないか、なんてことも。
見出しを書いた人、果たして日本語が分かってるのかしら・・・・。

日本語はその特徴として主語が曖昧だ。
主語を意識して文を起こすと文意が分かりやすくなる。
また句読点を上手く使うことも大事だ。
しかし見出しは文字数に制約がある。ましてや大きな文字では・・・。
それを思ってか、あるいは「てにをは」を節約してか、空白を使用する例が見られる。
一字分を節約して半角で済まそうというものらしい。
ところが読点の代わりに使ったのか、そうでないのか曖昧だ。
結果、読み違えたりする。分かりづらい。
句読点の使い方がおかしい文章は実に読みにくい。
もちろん文意も伝わりにくい。

ブログなど何に付け、キーの打ち違いや変換違いに気をつけなければならない。
が句読点の使い方にも注意を払いたいものだ。
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by natsuman | 2017-11-19 10:43 | 言葉談義 | Trackback | Comments(0)  

耳に障る言葉使い

d0013739_13435690.png「〇〇さん、入ってもらってもいいですか」。
エッ、看護師さんそれはないでしょう。「〇〇さん、お入り下さい」でしょうよ。

この席、空いていますか。「はい、大丈夫です」の返事も感心しない。
「はい、(空いています)どうぞ」とあるべきだ。

同じようにレストランでの注文の時。「大丈夫です」なんて云われると、
オイオイ、ホントか、食べられるんだろうね、なんて疑いたくなる。

阿倍さん、あなたも「させていただきます」はないでしょう。
首相たるもの、自分の意思を明らかにするときは、「します」でしょうが。

自分の意思表明は能動態ではっきり云うべきです。
外にも受動態での話し方が丁寧な言い方だと勘違いしている例も多い。

テレビも新聞もへんちくりんな日本語が飛び交っている。困ったことです。
遠くなった老人の耳にも、障ることばは良く聞こえます。
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by natsuman | 2017-04-27 09:58 | 言葉談義 | Trackback | Comments(0)  

主客転倒?

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 朝刊を見て妙な言い回しに気がついた。エッそれはない。あべこべじゃないか。そう思った。
 熊本地震の救助活動の話し。云わんとすることころは分かる。被災者の大方は一階部分で救出されたというもの。
 だが記事にはこうあった。「熊本地震で県警が救助活動にあたった人の内、80%が一階部分だった」
 そんな馬鹿な。救助活動に当たる人とは救助する側の人。それでは救助する側の人の大方が一階部分で助けられたことになる。
まして県警がと断っている。なら救助活動に当たったのは警察官。その警察官が助けられたでは立場が逆だ。
 どうやら救助活動にあたったとしたのが間違い。救助した人か、でなければ救助された人とすべきであった。
 しかし、これが編集委員某の記名囲み記事である。今の編集委員とはそんなレベルか。新聞に載せる記事は編集部内の校閲部門が必ず文字や表現の間違いをチェックする。そこが見落としたか。それとも編集委員の記事だからとチェックが甘かったか。
 年配者からすると今の新聞は言い回しが気になる。記者が若いからか。何を云おうとするのか何度も読み直さないといけない。困ったものよとはボク。新聞って案外いい加減なのねとは家内。
 こんなことをぶつくさ書くのも親父から受け継いだ血のせい。ふっと主客転倒の四字熟語が頭に。がこういう時に遣うのどうか甚だ心許ない。

by natsuman | 2017-04-14 09:54 | 言葉談義 | Trackback | Comments(0)  

否定形で肯定する?それはない

最近、妙な言い方が流行ってる。
「・・・・とは、思います」である。
流行ってるとしたのは、本来の日本語の使い方について知識がないのか、
それともそういう言い方が格好良いと思っているのだろうか、そんな風に受け取れるからだ。
聞いた途端、浅薄、軽佻浮薄、付和雷同なんて言葉が老脳をかすめる。
ごく普通に「・・・と思います」云えば良いのに、なぜわざわざそんな使い方をするのか。
否定しないなら「は」は要らない。
言葉、文と云っても良い、にあって、否定する場合にのみ「・・・とは、・・・ない」となる。
つまり打ち消す、否定する。なのにみなさん肯定に使う。妙ちきりんだ。
そんな話し声がテレビからよく流れてくる。その度に強い違和感を感じる。

しかしボクも知らないことがあった。「とても」の用法である。
これも打ち消す場合にのみ使うという。
つまり「よくない」「宜しくない」というように否定する場合にのみ使うのだそうな。
だから「とても良い」という言い方はおかしいというわけ。使うとすれば「とても良くない」である。

広辞苑を開くと「とても」とは「迚も」と書き、「とてもかくても」の略とある。
その第一義に、(否定を伴って)どんなにしても。なんとしても。到底。とある。
また第二義に、どうせ。ともかく。所詮。とある。
さら第三義に、非情に。たいへん。とある。耳障りな「とてもよい」の使い方はこれに該当する。
しかしこの第三義は、明らかに否定を伴っての用法に反する。つまり間違った使い方。
世の中に誤った使い方が広まってきてやむなく広辞苑がこれを加えたと想像できる。
とは云え、本来の用法でないことは明らか。
「とても」は「宜しくない」場合にのみ使うと覚えておこう。

by natsuman | 2016-11-09 10:02 | 言葉談義 | Trackback | Comments(0)