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さしこす     12月5日

 古文書には、当たり前ながらその書かれた時代に使われた言葉が使われる。文体は概ね文語調だが、道中記などではかなりくだけた文章になる。その中に時々理解に苦しむ用語が出てくる。
さしこす     12月5日_d0013739_22172566.jpg 古文書を勉強し始めて以来、未だによく分からない一つに、「さしこす」というのがある。道中記では大概、峠を越えたり近道したりするときに使われるのだが、何となく分かっているだけで正確な意味が未だに掴めないのだ。
 絵は http://www.ktr.mlit.go.jp/hitachi/road/rekishi/3_kinsei/3_1_3.htmからお借りしました。
 辞書には載っているような載ってないような状況で手探りが続いている。そこでヤフーの知恵袋に質問を載せてみた。しかしいっかな回答が寄せられず、これは役に立っていない。
 原文はかな書きである。「さしこす」にどういう文字を当てるのかよく分からない。辞書では次のようになっている。
 さし‐こ・す【差(し)越す】
  [動サ五(四)]1 一定の順序や手続きを踏まないで物事を行う。
  「所属長を―・して異動願い  を出す」
 2 送ってよこす。〈和英語林集成〉
 しかしこれではよく分からない。え、それどういう事と今ひとつピント来ない。道中記の中の状況と今ひとつしっくりしないのだ。
 江戸時代も、今と同じように、旅のガイドブックが沢山発行されている。伊勢参りなどの旅人はこの道中案内書を必ず懐にし、日々これを参考に旅をしていた。
 当然そこには旅のコースが書かれている。宿駅やら距離やらが旅に便利に書かれている。その通りに行けば無駄なく目的地へ行けるわけだ。
 とすると、そこに書かれているルートを無視して、 つまり一定の順序や手続きを踏まないで、近道に山越えしたり、あるいは現地情報を元に通り抜けたりした時などに「さしこす」とか「さしこしにした」などと使うのかも知れない。やっとそう気がついた。しかし多分そうではないかなと思うだけでまだ半信半疑である。何方か適切な解説をしていただけるとありがたいのだが・・・・・。

by natsuman | 2008-12-05 22:02 | 教育学習 | Trackback | Comments(2)  

Commented by 遊子姫 at 2008-12-06 22:04 x
差し当たって、差し向かう、差し向かいの、差し支える、差し障り、などのように、「差し」は後の言葉の意味を強調するような意味とは違うのでしょうか?
Commented by natsuman at 2008-12-07 17:28
そうかも知れません。しかし文中の情景を考えるとどうも巧い訳が浮かばないのです。道中記の文章は本人のメモ書きみたいなもので、自分だけ分かっていれば良しとする傾向があります。丁寧な描写とは無縁で、いきなりどこそこへさしこしにする、なんてえらく簡単に書いてあって、何のこっちゃと戸惑うのです。

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