反省すべき伝統がない 11月8日
でも空将であるこの人、日頃の自分の所信を述べたに過ぎないとしては認識が甘いが、戦後60年もたっているのに未だに東京裁判のくびきから抜けられず、日本がどこかにある種の賤民意識に侵されているというのも頷ける話である。
歴史には裏も表もある。どちらか一面だけで語れるものではない。そういう見方もあるとここは鷹揚に構えたいし、妙に騒いで国際的な問題に再び発展しないよう願いたいものだ。
それにしても騒ぎが航空自衛隊であるところが面白い。我が国に軍隊はないことになっているのに何故か陸自、海自、空自と三つも防衛組織がある。自衛隊は一つと思っている人はここで認識を新たにして欲しい。
自衛隊発足の経緯は省く。結果的に名称は異なるが陸軍、海軍、空軍に準ずる三つの自衛隊が組織された。戦前の軍組織を反省して陸、海に加えて空が誕生。そしてこの三つの自衛隊の性格というか主義というかが面白い。
陸自は、戦前の反省から旧陸軍の伝統や因習のようなものを徹底的に排除してきた。そのせいか旧軍の歴史的な意義には淡泊で、どちらかというと否定的である。今戦争遺跡があらためて再評価されるようになったが、陸自は基地内にある旧軍の遺構などの保存にはかなり無頓着であるという。
一方、海自は、全くその逆で正々堂々と旧海軍を引き継いだと自認している。発足当時は旧軍人がその経歴を買われて積極的に採用されたし、軍の護衛艦の名称など旧海軍から数えて第何代ですなどとはっきり言い、その伝統を引き継いでいることを誇っている。海上自衛隊はまるっきり海軍である。
さて空自である。しかし旧軍に空軍はなかった。もちろん華の航空隊はあったが、それは陸軍と海軍と別の組織である。それはどちらも系統としては陸自であり海自に引き継がれた。
結果、空自は引き継ぐべき伝統のないまま、戦後に米軍の指導を得て設立された。その指導に当たったのは、日本を焼夷弾で火の海にする作戦を提唱し、数十万の抵抗なき人々を効率的に焼き殺した、米空軍のル・メイ元少将であった。
そして航空爆撃という戦闘方法では、機上の乗組員は地上での惨禍を知る由もない。当然その反省は起きにくい。上記のル・メイ少将の頭の中もその類であったろう。
つまりは、田母神氏がもしも陸自にいたなら、案外こういう論考には到らなかったのではないかと思うのである。旧陸軍の行動がとかく批判される中では、大陸での戦争の歴史を今再び持ちだして、ましてや都合のいい解釈をすることは避けただろうと思うのだ。
一方、海自であったならどうであろうか。広い太平洋上での戦闘こそが華としてる立場では、大陸の戦争は舞台が違うとして論ずる事はなかったろう。
どうやら世間は小松基地航空団だけの特異な問題と見てるようだが、この件どうも航空自衛隊の生い立ちにも大いに関係がありそうとボクは見る。旧軍からの、いいに付け悪いに付け、引き継ぐべき伝統の無さが、歴史観の相違として現れたのではなかったか。
by natsuman | 2008-11-08 16:31 | 時事世論 | Trackback | Comments(0)