5月13日(金) おっ13日の金曜日
それでも毎朝仏壇にお線香は上げている。だが祀っている肝心の親父は、葬式なんかしなくていい、坊主なんぞ○○食らえ(さすがにこれは伏せ字にせざるを得ない)、線香なんか上げるな、経なんぞもってのほかといって旅立った男。一方母親は賑やかにやってくれと云って行った女。残されたものは実に困る。でとりあえず遺族は先祖崇敬という意味で毎朝挨拶しているというのが本音。
銀爺は宗教的な環境とはほど遠い家庭で育った。今現在仏壇があるのが不思議なくらい。神社やお寺へお参りに行っても、家には神様も仏様も縁がなかった。そのせいか、両親が家を買ったとき、その家に付いていた神棚で、これは木がよく乾いている、といって模型飛行機を作ったという罰当たりな経験の持ち主である。
しかし今では宗教というものを少し考えている。といって没入しているわけではない。宗教というものはどんな時代にもうさんくさいものだという認識を持ちながら、それでも人がそこに何らかの安らぎと、時には助けを求めて没我する、そこに何かがあるという点に興味を覚えるに過ぎない。何かがあるかもしれないと。
by natsuman | 2005-05-13 23:11 | このブログ | Trackback | Comments(1)
例えば病気の人を治すことなど
「袖にすがる」 「わらをつかむ」 その時に 袖が神になり 藁が仏になるのではないでしょうか たとえ信じていなくても
人間って 弱いものですね