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対空監視鏡 その2     2月3日

 (続き)
 今から30数年前、ある組織がこの市内から移転した。そのおり、古い倉庫の中のがらくた類を古物屋に払い下げ処分したことがあった。その一切合切があわや持ち去られるその寸前、この古びた大型双眼鏡が発見され、急遽救い上げられた。一旦は業者側に渡ったものだが、処理をしていた担当者S氏と業者双方の了解を得て、以来、ボクが引取り管理してきた。
対空監視鏡 その2     2月3日_d0013739_10325725.jpg この眼鏡(ガンキョウ・メガネ。双眼鏡のこと)、如何にも由緒ありげな形と色をしている。漁船が備える魚群探査用のそれとは雰囲気が違う。明らかに対空用、それも軍用である。しかしそんなものが何故ここにあるのか。発見の時点で既に30年以上は倉庫に眠っていたろう。もし戦時中のものならば60年も前のものだ。実は外にも眼鏡があったのだが、それはごく普通の直視型で拾い上げるほどのものではなかった。

 ところで読者は、なぜそんなものが幾つもあったのかと不思議に思うであろう。かって館山には県の水産試験場があった。明治中頃に開設されて100年以上の古い歴史がある。ここは農業試験場と並ぶ産業振興のための県の試験研究機関の一つで、海を相手とする関係上、創立以来、数々の調査船を備え運用してきた。そのため歴代の調査船の航海運用属具や漁具、調査機械を保管する船具倉庫や漁具倉庫が必ず庁内にあり、特に大事なものは奥深く仕舞いこまれてきた。
 双眼鏡の類は元来高価な物だけに特に長く眠っていたことと思われる。しかも調査船は、僅か19トンの小さな補機付ケッチ型帆船から、最大は317トンの指導船まで、大小取り混ぜて21数隻も建造されている。かなりの数の架台付の双眼鏡の類がこの倉庫に出入りしていたのだ。
 戦前、当時としては極めて大型の鋼製調査船”ふさ丸”(167トン)が水産県千葉の威を誇っていた。名船と謳われ広く活躍したが、戦時中の戦争体制下にあって海軍に徴用され、南東方海域の哨戒活動に従事していた歴史がある。
 レーダーはまだ実用化されていない。乗組員が交代で双眼鏡片手に、四六時中、空と海を見張っていた。当然、そのための大型対空監視鏡は必要装備である。海軍から然るべき人員や機銃とともに装備されていた可能性もある。つまり今この手元の対空監視鏡はその調査船に載っていたものではないかとまず想像される。
 一方また、戦後間もなく、物資の乏しい時代に建造された指導船ちば丸(木造37トン)に、戦時中どこかで使われていた対空監視鏡が持ち込まれて、漁場探査用に転用されてきた可能性も考えられる。最近になってカツオ漁場調査に使われていたという証言を得ているので、昭和20年代後半に魚群探査に使われたことは確かなようである。
 とはいえそれが建造当初から属具として搭載されていたという証拠はない。もしかしたら、館山は航空隊の基地でもあったから、航空監視哨で使われていたものが残っていて、それが回り回って使われていたかも知れないからだ。
 とにかくこの大型眼鏡が対空監視用であることは間違いない。だがそれがどういう経緯で残ったのかもうよく分からない。でもこれは確かな戦争の時代の遺品である。出来れば何らかの形で残したいと、そう思うに至った。(続く)

 またまた話しが長くなった。今日は節分。我が家も二人暮らしながら、各部屋から表に向かって豆まきをした。近所からは一向に声が聞こえないので、やむなく小さな声で。

by natsuman | 2007-02-03 10:33 | 教育学習 | Trackback | Comments(1)  

Commented by KI at 2007-02-05 17:45 x
夏丸さんが、何故こんな双眼鏡をお持ちなのか不思議に思っていました。これで分かりました。

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