耳が遠く、眼も遠いか

d0013739_09175086.jpg 加齢による肉体器官の老化は防ぎようがない。目・耳・○〇などと何が先になるかは人様々だろうが、誰しもが避ける事の出来ないいつか行く道だ。ボクの場合も耳が遠くなったことは否定しようがない。テレビが聞こえない、会話が聴きとれないなんてことは日常ざら。聞こえたふりをしても何を云ったか分からなければ返事のしようがない。頓珍漢な返事をするようになれば、明らかに聞こえなかったときで、こうして段々会話が疎遠になる。
 ボクの場合、耳は射撃の影響が大きい。中年頃にはもう高音が聞こえなかった。高音とは周波数が略4000サイクル前後の音声。健康診断でいつも引っかかった。高音は手っ取り早く云えば秋の虫の音だ。我が家は自然に囲まれた苫屋。秋はウルサイくらいの筈だが、それが聞こえない。「あなた聞こえないの?」と年中家内に馬鹿にされている。ああそうか、道理で我が家は静かな訳である。
 眼もいけなくなった。とはいえ元々眼は良い方で近視はない。ところが老眼が早かった。40歳過ぎて初めて老眼鏡を誂えたとき、眼鏡屋に云われたものだ。「お客さん、これまでよく我慢しましたね。初めて作るにはえらく進んでますよ」と。
 いけなかったのは、その頃、既にパソコンの使用が始まっていたことだ。これで乱視になり、しかもどんどん進行した。でも視力が落ちたわけではない。今でも乱視さえキチンと矯正すれば1.2はいけんるんじゃないか。眼の問題はボクの場合、老眼もあるが乱視の方が問題だ。
 何しろ裸眼で物が三つ見える。夜になると前に行く車のテールランプが三つも見える。まぶしくて適わない。夜空を見上げれば月が三つ見える。満点の星空もひとの三倍だ。もちろん夜景も三倍。
 一番いけないのは射撃のとき肝心の的がダブって見えることだ。飛んでいくクレーが上下に三つ並んで見えては、つい上を撃ちがちになる。ましてや動体視力が落ちていると何かの瞬間に的を見損なってしまう。これは致命的だ。最近、まことにお恥ずかしい成績に終わるのも、この乱視の進行が問題かも知れない。
d0013739_11232044.jpg 一般に目が良くないというのは近視の場合。老眼は加齢による症状で目が遠いとは云っても悪いとは言わない。しかし射手にとって老眼はまた問題だ。射撃は照準が肝心。その照準が難しくなる。照門は照星よりはズット手前にある。それがよく見えない。となると照星に合わせるべき照門が見えないから、どこをどう狙えば良いかで甚だ困惑する。
 江戸時代もこれは問題だった。同じ造りでも照門はできるだけ眼から遠い所に欲しくなる。今に残る火縄銃の中には照門が眼からバカに遠い位置に設けてあるものがある。明らかに老眼用。江戸時代も問題だったのだ。しかし照星と照門の間の距離を詰めると照準の正確さが低下する。照門を遠めに置くのも実は痛し痒しなのだ。
 そうではあっても射撃は操作中にさほどの過激な体力消費を要しない。一度確りした射撃技術を身につければ老人でも充分に楽しめるというスポーツ。ゴルフから射撃に転向したというご老人が意外に多いのも頷ける。だがボクの場合は。もうその時期をはるかに過ぎている。終焉の幕引きはもうすぐそこだ。
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by natsuman | 2018-10-17 11:28 | 健康保全 | Trackback | Comments(0)  

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