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手に載せられたか 12/29

手に載せられたか 12/29_d0013739_9584933.jpg 従軍慰安婦、そんな言葉が出来上がってしまった。慰安婦はあった。だが従軍したという事実はない。ついていったかもしれないが。
 どうも何もかも韓国の良いようになってしまった感がある。アメリカの忠告もあって日韓両国の外務大臣が話し合うというから、もう少しましな結末を期待していたが、これでは相手の手に載りに行ったようなもの。
 10億円もの金を無心させられて、またぞろ適当に使われるやもしれず、せめて銅像撤去の確約をする言質くらい取るべきだった。
 日本は韓国とは戦争をしていない。当時韓国の人々は日本人だった。慰安婦は何も韓国人だけではない日本人にもいた。だが日本人がそれでもって騒いだことはない。
 あれは職業だった。春をひさぐ商売は公認。それで稼ぎたい人がなった。禁止されたのは戦後も遙かに過ぎた昭和30年代だ。
 武力を誇示し、その威力でもって制圧するというのが軍隊。それ故に時にその威力が同胞にも向けられることもある。軍の命令だとするときは大方それだ。
 ましてや性の暴発を如何にとどめるかという問題はどこの国も存在。軍隊が起きて以来続く歴史の問題でもある。兵士の性の処理は未だに軍隊の大きな課題。どこの国の軍隊でも戦争の際にはどさくさに紛れて必ずや起きている。ただそれが従軍だとか慰安婦だとかいかにも軍隊組織が関わったような形ではなかっただけ。
 名画カサブランカは、ラストシーンが印象的。移動する軍隊のあとを追う女達。命令されているわけではない。男と女の性がそうさせている。
 戦場の混乱の中で、力あるものが弱いものに対し威嚇する例はしばしばある。性の処理問題で血が上った現地であったかもしれない。だがそれをもって軍の命令というのは本質を誤っている。命令とは組織がするもの。組織的な背景が不可欠だ。戦場の片隅で起きた兵士による民間人への威圧は、例え命令だと云ったとしても国家組織としての軍が出す命令ではない。
 何かが混乱している。無知が誤解を引き起こし、被害者意識が過剰になり、民族や国性が怨念を増長させている。いつまでも並行線だ。行き会うことはない。
 今回、不可逆的というたった一言をもって日本政府が納得したか。無理にそうしたか。結果的に10億円なら安いと思ったか。一体どうなるかもう少し先を待ちたい。
 

by natsuman | 2015-12-29 09:53 | 時事世論 | Trackback | Comments(0)  

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