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鉄道をどう利用したか 12/5

 月に一度、古文書研究会の解読発表検討会が開かれる。今日は明治の旅日記の始まり第一回目である。
 明治も半ば明治26年の道中記である。江戸時代のそれと違ってごく普通の庶民が旅をしてのメモ帳のようなもの。書き方も簡潔明瞭なカタカナ混じりでお家流ではない。
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 内容はどこをどう行って、どこを見、どこに泊まり、幾ら払ったか、汽車賃や船賃はといったようなものばかり。自分がどう感じたか、どう思ったかなどの感想はあまりない。それでいて所々にスケッチが挿入されている。
 著者にしてみればそれなりに思い入れがあるだろうが、我々には一見無味乾燥に見える。でもその少ない文字の羅列や行間から、当時の旅の様子を読もうというものだ。
 時は全国的に鉄道がどんどん延びている頃。まだ官営鉄道と民営鉄道がそれぞれ開発にしのぎを削っている時代だ。
 旅は館山の海岸・新井浦から始まる。汽船で横浜に渡り、そこから鉄道で西へと向かう。もちろん丹那トンネルはまだないから御殿場廻り。目的は江戸時代と同じく伊勢参宮だが、もちろん途中の名所旧跡を見るために汽車を降りては歩いて廻っている。
 文明の利器はどんどん利用。汽車意外にも汽船、馬車、人力車まででくる。宿泊もまだ鉄道の駅がないところは別として鉄道駅周辺だ。とはいえ鉄道がないところは相変わらず徒歩である。当然、新興の駅中心の反映の陰に宿場の衰退がある。
 同じような参宮目的の旅とは云え江戸時代とは様変わりしたその新旧がないまぜでややこしい。
 名古屋から伊勢神宮(正しくはただ神宮という)へ行くには、今なら名古屋から鉄道で一気に行かれるが、まだこの頃はそうはいかない。
 熱田神宮に参拝してから名古屋城見物。てくてく歩いて津島へ。そこから船で木曽川の河口を渡り伊勢の桑名へ。次いで四日市で汽車に乗り津まで行く。関西線が既に草津から名古屋まで開通しているからそれを利用した。
 だがそこから先の伊勢方面へはまだ路線がない。この当時まだ参宮線の工事中。やむなく津からは昔の伊勢参宮街道をてくてく歩いて行く。
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 調べてみるとこの旅の年の大晦日に津~宮川までの間が開通している。翌年の旅なら汽車で行けたわけだ。
 てなことをいろいろ調べて知ると、鉄道会社と街道宿場の業者との軋轢や、水害対策で大幅なルートの変更や、山田の手前の宮川の鉄橋が大工事だったなんてことが分かってくる。
 本題に戻そう。関西途方は民営鉄道の開発が盛んだった。今でもその名残で私鉄路線が多く地区の主要路線になっている。
 ということで関西では鉄道路線が複雑でよそ者にはなかなかその体系が分かりにくい。まして話はいろんな路線開発が進んでいた頃。果たして当時どこまで建設が進んでいたか、どこまで汽車が使えたかで悩まされる。まして断片的なメモ記録では一体どの鉄道を使ったのかは分からない。
 こうなると関西の鉄道歴史に明るいマニアの世界だ。

by natsuman | 2015-12-05 17:29 | 温泉・旅 | Trackback | Comments(3)  

Commented by tokyokid at 2015-12-06 11:30 x
明治の鉄道とは面白いものに目をつけられましたね。明治26年なら、私の祖父が生まれたころでした。お説のとおり関西は私鉄の種類が多かったのを、先の第二次世界大戦のときに「近鉄」に統合したと聞いています。そのとき軌道の幅が違うので苦労したとか。蛇足ですみません。
Commented by natsuman at 2015-12-06 17:16
いえいえ、ありがとうございます。
関西の鉄道の歴史は難しいですね。
Commented by ミーハー at 2015-12-07 21:48 x
妙なことにお詳しくなりますね? (*^┰゜)b

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