人気ブログランキング | 話題のタグを見る

湊町と海軍 9/21

 館山は江戸時代には海運に関わった湊町である。今の新井海岸当たりをかっては新井浦と称した。沖合に鷹の嶋、沖の島の2島があり風波を避けることが出来た。それを利用して海運業や漁業の基地として利用され、それがまた商業を興隆して新しい世作りをしたところである。近くの山に舘があったのでそれが館山の知名の発祥になっている。
 現館山港の西方は海上自衛隊航空基地になっている。大震災で浅くなった島続きの磯根を埋め立てて旧海軍航空隊基地が作られ、戦後海自がそれを引き継ぎ、今はヘリコプターの訓練教育地である。毎日のようにヘリが頭上を行き交っている。正直言って少々喧しい。がそれに文句を付ける市民は殆どいない。
湊町と海軍 9/21_d0013739_1632327.jpg
 昨日、市内の海軍研究家のK氏の旧海軍館山航空隊に関する講演があった。元々は水上機の基地だったが、先の大戦でここから飛び立った多くのゼロ戦隊が次々と南方へ向かっている。基地を廻る航空隊の歴史は今となっては分からないことだらけだが、あの戦争の重要な作戦に大きく関わっていたことは確かだ。そして若者の多くが帰らなかった。
 館山航空隊、州の崎航空隊、そして館山砲術学校、と三つもの大きな軍隊組織が市内にあって、館山の歴史の大きな部分を構築している。そこから多くの若者が国のために若い命を捧げた割には、よく分からないまま歴史の彼方に埋もれそうだ。それを指をくわえてみているのは如何にも忍びない。
 今は海上自衛隊だが、この基地がそう簡単に消えるとはとても思えない。この先もなおなお連綿と関係を続けるのは必至だろう。となれば海軍時代の歴史を偲び、また慰霊顕彰等、もう少し励む必要があると氏は語ったように聞こえた。
湊町と海軍 9/21_d0013739_16303147.jpg
 折から海自最大の艦、南極観測船”白瀬”が停泊していた。遠目にも格納庫の扉が開いている。そこに納まるヘリも館山基地のヘリのはずである。

by natsuman | 2014-09-21 16:33 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

<< どんどん遅くなる 9/24 老いを覚悟せよ 9/20 >>