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あれ、古文書の先生が 1/10

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 NHKのBS番組、プレミアム歴史館は楽しみにしている番組だ。昨日も松尾芭蕉をとりあげ、その俳句や俳諧の世界、歴史を語らった。なかなかに興味ある内容だった。
 俳句も俳諧も同じだと思っていたボクには、それが違うと知って驚きもした。そして江戸の時代、庶民の間に広まって、その例として我が地館山市布良地区が出てきたのにはまた驚いた。
 いつも博物館や研究会でお世話になっている館長の岡田先生が登場。当時「布良連」と称して一種の俳諧の仲間、グループ活動が盛んに行われていたと証言する。
 実際、古文書、特に道中記のようなものの中にはしばしばその種の詩歌が出てくる。江戸時代、文字が書けるような人々は庶民であってもそれなりの嗜みがあったのだ。
 まして詩歌の世界を嗜む方々に対してボクにはある種の羨望感がある。その素養のないことが一の理由だが、それでもその高い文学性には一応承知をしているつもりでもある。
 古来、詩歌というのは高尚な文学的世界である。庶民から王様に至るまで詩歌には縁がない欧米文化にはだからこそ詩人などという特殊な職域が生まれるわけで、詩を手のものにするというだけで人を見る目まで変わって来る。
 実際、和歌や俳句は日本人の高い文化性の象徴である。ましてや庶民の隅々までそれを楽しんでいたなんてそうざらにあるものではない。そう言えば地元新聞の詩歌の蘭にも知っているお名前をしばしば見かける。それも文化成熟してなお盛んなことを物語っているのだろう。

by natsuman | 2014-01-10 09:44 | 歴史 | Trackback | Comments(2)  

Commented by tokyokid at 2014-01-10 17:28 x
夏丸さま、お説のとおり、日本人の教養程度は非常に高いのです。詩歌は韻文ですから、散文とはまた違ったむずかしさがあります。これを易々とこなしてしまう町人がいくらも居た、というのが驚きです。
Commented by natsuman at 2014-01-11 08:36
そうなんです。実際、旅日記はもちろん、各種の文書にはしばしば狂歌、和歌、俳句が出てくるんです。素養のない私にはそれをどう読み解くかでいつも苦労します・・・・・。

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