句読点の効用
出来るだけ正しく正確に意を伝えようとすると必然的にそうなってしまう。
ただ反省すべきは、得てして文がくどくなることだ。そうならないよう何度も読み返しては直している。
実はこのブログ、読者は極めて少ない。しかも固定客ばかり。したがってカウント数はサッパリ延びない。もとより若者は殆どいない
テーマもさりながら、ずらずらとやたら長いセンテンスで行一杯に文字を並べた、そのスタイルが嫌われてるのかも知れない。
せめて分かち書きにでもすればもう少し何とかなるかと思いつつも、そんなつもりはさらさらにない。でも一生懸命、文章を練り、句読点の配置にも気を使ってるつもりである。句読点の効用は大きい。
そういえば、古文書には句読点というものがない。ずらずらべったりで、一体どこで切るのかよく分からない。どう読むかは読み手の判断だ。だから正しく読み取るには経験がいる。
そういえばボクが訪れるブログの中にも、驚くことにこの句読点が全くなかったり、またあるブログではその置き場所が妙なために、何度も読み替えさなければ文意がよく分からないという、判じ物みたいな代物もある。苦笑のブログである。
止めの丸も点もないでは読むのに苦労する。でもこのブログではそんなことはないはず。気を使ってます。
といいながらも時に文字の間違いやおかしな表現に気づくことがある。キーの打ち違いや変換違いもある。でもそこはそれ、能天気故と御笑覧願います!
by natsuman | 2012-02-07 16:56 | このブログ | Trackback | Comments(0)