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古文書解読がお好き      7月3日

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 また始まった古文書研究会。そもそもは市立博物館の講習会が始まり。熱心な希望者が独自に解読を進めてゆく研究会を立ち上げて今に至っている。もう4、5年は経ったか。主に地元関係の文書を紐解いている。今年、研究会は退くか進むか水際に立たされた。今立て直し期を迎えている。
 なお、古文書は「こもんじょ」と読む。よく「ぶんしょ」と読む人がいるが、あれは間違い。「もんじょ」と「ぶんしょ」は違う。
 さて古文書は専門家でも解読は結構難しい。ましてやちょっと向学心に燃えた位の素人ではさらに難しい。文書を独りこつこつと解読していくという風な独学は誉められない。
 なぜなら初心者はもちろん、かなり読める方でも、最終的にこれはこう読むというダメ押しが無いと、読めたのか読めなかったのかが分からず、面白くも何ともないから。強力な助っ人がいないと折角の向学心も沸きたたないし。
 つまりは良き指導者の存在が不可欠。その点、館山市の市民は恵まれてる。人気抜群のOK先生の講義は中身が濃い。2時間の解読授業は魅力的だ。脳の活性化にぴったり。
 もちろん研究会の解読結果は後でまとめて先生の検索指導を受ける。そうしている内にいつしか立派な歴史資料が出来上がる。もちろん会員の歴史認識もぐんぐん高まっていく。
 今日から始まった一書は、時は慶応4年から明治元年になる、風雲急を増す幕末から明治への一大変革期。この房総の一角、大井村にも、吹きすさぶ時代の荒れに立ち向かおうと一種の警備隊か、その名も勇ましく「神風隊」が結成される。まるで新撰組の出現のようだ。
 その始まりからの記録が「屯所日記・御用留」である。今度はこれにしようと先生から渡された文書のコピー、一目見てボクはこりゃイケマセンであった。難しいの一語に尽きる。半分も読めない。それでは一体何を書いているのかも分からず、どうにも手に負えない。
 それでも今日一回目に出てみた。皆さんはさすが大したもの。判読困難な文字を除けば、結構読み解いている。ボクは、えー、そんなことが書いてあったのか、と力不足丸出し。こりゃ当分、読み解くどころではない、一方的に読み聞かせて貰うばかりだ。でも面白そう。 

by natsuman | 2010-07-03 17:05 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

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