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年賀状は画状じゃない     12月17日

 古文書の整理やら年賀状との苦戦で昨日は一歩も外へ出なかった。プールへ行く日だったが午後はすっかり忘れてしまった。先週の腰の痛みもあるからまだ行かない方が良いという気分でもあったし。
 年賀状もこの歳になるといささか面倒くさい。古希を理由に大方は今年で終わりにすると、その旨失礼するよとハガキにも書いた。
 しかし年賀状の用意はそれなりに季節を身体で知る機会であり、それを止めるとやっぱり少し寂しい気もする。難しいところだ。
年賀状は画状じゃない     12月17日_d0013739_14435041.jpg それにボクの場合、年賀状は賀詞を述べると共に、この一年の総括を報告する意味もある。普段会えない方には元気だよと尚更に重要な情報を提供しているつもりだ。それに、たとえ親しい仲でも親戚筋であっても年に一度くらいは、住所録の内容のチェックも含めて新たな情報が欲しいではないか。そう思って賀状を送り出す。
 但し年賀状は賀詞交換である。大事なのは挨拶文である。ではない。しかしプリントが可能になってから、やたら画ばかりが蔓延る時代になったのは本末転倒。例えいかに画が立派で面白くても、そこに添えてある言葉、文がお粗末ではどうかな、と常々ボクは思う。
 ボクの年賀状、はっきり云って見た目は実にダサイ。一見、画もあるが、いつも細かしい文字が並び、目の遠くなった老人からは顰蹙を買う。デザインセンスの無さは如実だ。
 しかし、しかしだ。その年に一度の文は相当に練りに練ってあるつもりだ。第一あの小さなハガキの中に盛り込める文章はかなり簡潔にしないと入りきらず、駄文の余地はない。
 お陰で毎年10月くらいから文案を練り始める。作っては削り、削ればまた加え、文を練り、言葉の一句一句を慎重に拾う。そういう努力をしている。
 お陰で皆さんからは評判が宜しい。止めるとなぜ今年はないのかとお叱りを受ける。元々が能天気だからつい調子に乗る。今年でもう止めたなんて書きながら、また続くことも一度や二度ではない。能天気男の云うことはとかく当てにならないという典型である。

by natsuman | 2009-12-17 14:55 | Trackback | Comments(0)  

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