5月28日(土) 市民よ海を見よ!

 昨日の古文書資料作りにあまりにのめり込んだせいか、今朝は定刻に目が覚めたにもかかわらず、朝のラジオ体操登山をさぼる。行けば行けたのが、今日はジムへ行くからいいとだだを決め込む。実は頭の中にペンキ塗りのもやもやがずっとかかっていて、そんなにあれもこれもは出来ないよとブレーキが掛かった次第。
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 それにしても好天気。日がきつくならない内にと、思いはうんざりしながら愛艇の二度目のペンキ塗りに出かける。数年前からあと三年でヨットの世界からおさらばしようと思いつつも、海へ出る道具を失うその無念さに、ついついずるずると大荷物を抱え呻吟している。
 何もかも自分で整備し、保守してきたものの、どんなにセイブしてもただ繋いでおくだけで年間20万円+アルファは掛かる。保険を抜いてだ。もし一つでも間違いがあり、例えば台風被害を受ければ、ウン百万の金がかかるのは目に見えている。実に非生産的。しかもそれだけの維持費とリスクを抱えていても船を持っているという気分以外、何一つ得るものがない。何とも馬鹿な話しだ。
 もし有料会員制のマリーナなどに船を置いていれば、さらに数倍する費用がかかる。それゆえヨットを持っていると云うだけで、お金があるからヨットなど贅沢なものを持っていると誤解されがちだ。だがそれはない。一介の貧乏公務員の身で金銭的に贅沢が出来るわけがない。だがなぜ船を抱えているのか。
 それはひとえにヨットが好きだったからに他ならない。若い時代に他人の持ち物を見ていつか俺だってと、そう思って40年が過ぎた。結果、僅か27フィート。アメリカ製のカタリナ270E。30フィートにも手が届かない。ただのピクニックボート。40年前ならヨットマン垂涎の的かもしれないが今ではそんな中途半端な船をと嘲笑されるのが落ちという代物。それでも自分の財布と一応ながら海が楽しめる船という相反する条件を何とか実現させたのがこの結果。なさけないながらこれが始めでしかも終わりだ。

 40年前にこの海にヨットクラブをと思い立ち、非力ながら組織を創設したものの、貧乏公務員の力のなさを痛感し、世の中なお動きは遙か遠いところで回転し続ける現実を指をくわえて眺め、ただ無念さをかみしめてきたが、いろいろと紆余曲折があってクラブは今ではNPO法人に移り変わり、それなりに活動には評価を得ている。それを考えれば、まあ今のところその一員であり続け、愛艇をかこい、海に出る手段を持っていることの、その幸せには大いに感謝すべきことである。
 だがそれにしても船を一隻持つと云うことは生やさしい努力では出来るものではない。クラブ員の中には、ヨット操縦に関してそれなりの力量があるものは少なくないが、といってその彼らがみな自己の船を抱えることが出来るかというと、相当に疑問がある。優秀なヨットマンと船を維持管理できると云うこととは、その力において全く別物なのだ。
 幸い、銀爺はそれをクリアーしているつもり。技術や最新の知識に関しては今やかなりお粗末だが。港に自分の船を浮かべている。お陰で一年中いつでも好きなときに海へ出られる。これは船を持たない、あるいは海に関心のない人たちには全く理解し得ないことかもしれない。が銀爺にとっては何物にも代え難い術なのである。
 銀爺は45年前、海辺に済住むことと船のある生活を夢見て当地へやってきた。曲がりなりに一応それが実現した。それだけに、いかに老骨に響いても、船を手放すということはなかなか出来るものではない。で結局相も変わらず老骨にむち打ってひいひい云いながら年に一度の整備に汗を流すというわけ。我ながら実にご苦労様としか云いようがない。もしかしたら、お迎えが来てもなおかつ船を心配質している銀爺かも知れない、とふと思ったりして。

 だがね、この半島の突先に住む多くの人々よ、この地の最大の財産は海じゃありませんか。山や緑はここよりももっともっと遙かに素晴らしいところが外に沢山いくらもある。この地が誇るべきはよそにはないこの周りを囲む海、波静かな鏡ヶ浦、館山湾なんですよ。普段この地に生活している皆さんはエリアの中にいるだけに、自分の住む生活エリアの価値が見えていないというのが本当のところだろう。少し離れて視点を外に移してみれば容易に理解できるはずなのに。皆さんはそれがまるっきり分かっていない。これでは当地は移住者ばかりの町になってしまうぜ!
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   銀爺、海をゆく! (洲崎沖にて)
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# by natsuman | 2005-05-28 21:17 | Trackback | Comments(0)  

5月27日(金) 日本海海戦大勝!

 今から百年前の今日、日本は国運をかけて対馬海峡でロシアの大船団を迎え撃った。世界は白人が牛耳る時代。力でもって領土を奪い取る時代。それを見事打ち破ったのは日本人。世界の海戦史上、いまだかってないパーフェクトゲーム。
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 東郷元帥以下、麾下の将兵は海上のおごりにおごるロシアの大艦隊をたたきつぶした。味方の港に無事逃げおおせたのは僅か3隻。だが日本は殆ど無傷。歴史上例のない完全勝利。今日ロシアではその記念式典が催されたというが、一方日本は国が式典を行ったという話を聞かない。
 しかし全力を尽くした日本は小国の悲しさ、戦には勝ったが、国と国との駆け引きには負けた。余力を残すロシアに妥協せざるを得なかった。この反省が足りないまま、勝った勝ったと精神力頼みが蔓延して日本は次に大きな禍根を残した。
 だが世界はこれをしおに大きく変わった。白人の侵略をアジア人が食い止めた。有色人種が食い止めた。歴史を長い目で見たとき、このことは大きな転換点だ。日本人にはその力がある。日本人よ自信を持て! 姑息な大国主義に振り回されるな! いいが掛かりに負けるな!
軍国主義を振り回すつもりはさらさら無いが、この日一日くらい、記念艦三笠が代表する偉業を称え偲んでもいいではないか!
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 朝5時50分起床。軽く汗をかきつつ遙か望遠する湾の景色に見とれ、ラジオ体操にしばしうつつを抜かす。健康そのもの。だが後がいけない。午前午後共に天気のいいのに古文書解読資料の作成にのめり込む。お陰でほぼ資料完成。でブログのことなどきれいに忘れる。タネ?何もなし。画像?さらになし!
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# by natsuman | 2005-05-27 20:44 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

5月26日(木) 秘湯探訪の思い出

 銀爺の人生の中に、高校生時代に奥多摩の山を駆け回った経験がある。また中年になってから再び始めた二度目の登山時代がある。まだ中高年登山ブームが起こる少し前で、最初の山が木曽駒ヶ岳だった。といっても当時は何十年ぶりかの登山で装備もろくなものがなく、ロープウエイを使ってのお手軽登山だった。軽く見てあまりに一気に登ったせいか高山病にかかって一晩山小屋で頭痛に悩まされた覚えがある。d0013739_22141999.jpg
 一方、学校上がる前から父に連れられて温泉の良さを刷り込められ(父はハイキングがハイカラだった昭和の初期に既に山のガイドブックを書いている)、しかも大学時代に、今ではすっかり有名人になったN先輩に連れられていった厳冬の奥鬼怒手白沢温泉の経験が、後の銀爺が温泉にこだわる大きな原因の一つとなった。
 ましてや凡そ温泉らしい温泉の出ない千葉県の、そのまた先っぽに住み着いてから、一種の無い物ねだりか、にわかに温泉への思いを強くして大の温泉好きとなり、仕事上、全国各地の研究会議等に出張する際には必ず二三日の休暇を取り付け、未踏の温泉探訪を果たしていた。でも当時はまだ普通のひなびた温泉巡りであった。
 それが段々ただの温泉ではつまらなくなり、いわゆる秘湯というものにあこがれ、山奥の温泉を訪ねるようになった。だが当時はまだ秘湯ブームではない。山奥の温泉情報は極めて少なく、登山案内誌が唯一の情報源だった。
 しかし山奥の温泉はとにかく交通の便が悪い。殆どが歩かなければ行けず、1時間から数時間はかかるのは当たり前。結局、出来るだけ効率よく探訪するには工夫が必要で、そこで、こっちの温泉から向こうの温泉へ行くのに、一番いい方法はと考えついたのが、なにただ山を越えればいいさだった。こうして登山と秘湯探訪が合体して銀爺の山登りには必ず温泉がついて回り、山が目的か温泉が目的か段々曖昧になっていった。そうなると温泉のない登山コースは最初から計画に挙がらない。
 銀爺の山行きはいつも単独行。だから計画は専ら初夏から秋口まで、多くは夏山である。長いときには一週間も一人で岩稜の尾根を縦走することもあった。そういうとみんな驚くが、でも北アルプスはある種銀座通りで、大概は同じような予定で歩いている登山者が結構居る。いつのまにか最後は温泉に同宿して気炎を上げて分かれるというパターンが多かった。そんな山中間との賀状交信が続いている友人が今も何人かある。
 こうして北アルプスの一般的コースは一通り歩いてしまった。温泉の数も子供の時からのを入れると230湯を超えるに至った。その殆どは泊まっているというのが銀爺の自慢。今はやりの日帰り入浴は1割あるだろうか。
 だがこれを書いているときりがない。いつかまた機会を見て続けよう。
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 そこで昔懐かしい写真を一枚。高天原温泉という。どこから行っても、途中の山小屋で一泊し2400m級の尾根を超えて都合二日間歩かなければたどり着けない。もちろん帰りもまた同じ。黒部の源流にある。入湯料はただ。但し何にもない。露天の湯だけ。だが最高! まだ若いときでした!。
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# by natsuman | 2005-05-26 18:22 | Trackback(1) | Comments(1)