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プロ野球ファンは暇人?   7月16日

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 毎週楽しみにしているわかしおスポーツクラブの水泳、大事を取って家でじっとしていた。しかし、ただゴロゴロしているわけにも行かず、そのじっとしているのが辛い。
 机上の積んどいた本も全部読み終えてしまった。新冊を入れなければならない。がそれまでの間が持たない。そこで暇を持て余して最終的に手が出るのがTV。
 さんざんチャンネルを探った挙げ句、行きついたのが何と野球放送だった。こういうとき野球番組はそこそこ時間潰しになる。
 しかしボクは野球ファンではない。プロ野球なんて全然興味がない。熱狂するチームもない。巨人ファンには申し訳ないが、巨人が勝とうが負けようが、そんなものボクの人生には何の関係もないと豪語してきた。
 これは小学校低学年の頃、戦中の栄養不足で小児結核におかされたことと、4回も小学校を変わったことが影響している。野球で遊んだ経験が少ないのだ。
 としばらくして気がついた。野球放送は時間つぶしにいい。とすると野球ファンてのは暇を持てあましている御仁かと。ついでに外に何かやること無いのだろうかとも。でもこれ少し言い過ぎですね。
 喉の痛みに加えて今朝から水っ洟。ティッシュを抱えて鼻の頭は真っ赤。熱は少し下がったがまだ平熱ではない。水っ洟防止に一日中ゴロゴロ寝てる。梅雨明け宣言が出たと云うに。
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# by natsuman | 2010-07-16 20:10 | Trackback | Comments(2)  

夏雲の季節に           7月16日

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 静養を兼ねて温泉に行って喉を痛めた。風邪引きの前兆である。身体もいつもとは違って冷や汗気味。夏風邪にいたってはと慎重に対処したつもりだが、未だ回復の兆候がない。
 今朝はもしやと思い熱を計ったら36.4℃ある。平熱が35.4℃位だからこれは微熱である。それがもう10日近くも続いていたわけだ。就寝中じっとりと冷や汗をかいたのもこれが原因。情けないと想いつつも、こうして段々身体が弱くなっていくわけだと妙に納得する。
 咳が出る。夜分の咳が辛い。一度出はじめると止まらない。コンコン続いて身体中の内臓を全部絞り出すようにしてエビのように丸まる。
 耳鼻咽喉科へ行けばいいのだが、軟口蓋から喉頭部まで腫れ上がってるのは分かってる。ともあれイソジンでうがいを励行、咽頭部には喉スプレーを発射して患部治療に専念。
 ましばらくは城山勤番も水泳も我慢することにしよう。でも身体が鈍るだろうなあ!
 

# by natsuman | 2010-07-16 08:59 | Trackback | Comments(0)  

栄華の跡              7月15日

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 何だこれは。植物ってのは、普通は外に生えている。大概は窓から眺めるものと相場は決まっているはず。だがこれは家の中に見事に生え育っている。しかもどうやら下の階からではなく、2階の床に根を延ばしている。
 この木、何年経つだろうか。10年じゃきかないだろう。しかもここ木造じゃあない、鉄筋コンクリート造りだ。
 ここへ種がとんできて根を下ろし、風雪に堪えてここまで繁茂するのは並大抵のことではない。
 実はこれ、八幡平は旧松尾鉱山跡の廃屋。鉱夫向けの宿舎だったのだろうか。丘の上になお相当の数の廃屋が建ち並んでいる。確かここは硫黄鉱山だ。その従業員団地だろう。
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 これらの施設、今でこそ夏草に覆われて緑の中に埋もれているが、明らかに人工的な造成地を前にしている。しかも広大だ。貯水ダムもある。
 建物は明らかに戦後の建造。それがあるとき突然、天然資源の硫黄を採鉱する必要が無くなったのだろう。今や強者共が夢の跡だ。
 日本は火山国の強みで、硫黄は豊富に算出した。それが戦後、原油を運び製油する段階で硫黄が分留できるようになった。硫黄鉱山の閉幕である。
 看板に注意書きがあり、みだりに侵入するなと。網の目のように張り巡らされた地下坑道が原因で、この広大な台地が陥没するという。
 近くにはなぜか学習院の施設(跡だけ)があった。また温泉場もある。だが今は見る影もなく寂れている。
 硫黄は火薬の原料になる。朝鮮戦争と何か関係があったかも知れない。

 松尾鉱山(ウイキペディアから) 
 19世紀末から1969年まで岩手県岩手郡松尾村(現在の八幡平市)に存在した鉱山。主な鉱物は硫黄。黄鉄鉱も産し、一時は東洋一の硫黄鉱山だった。
 ここに硫黄を産することは古くから知られていたが、本格的な採掘は明治44年から。標高約900メートルの元山から麓のまで索道を通し、昭和9年に東八幡平駅から花輪線大更駅まで松尾鉱業鉄道を敷き輸送に当たった。
 一時は日本の硫黄生産の30%、黄鉄鉱の15%を占め、東洋一の産出量を誇る。1960年代後半、石油精製で脱硫装置の設置が義務付けられ、その副生成物として得られる硫黄生産が活発化。硫黄鉱石の需要は完全になくなる。昭和47年鉱業権を放棄して完全閉山となった。
 標高900メートルの無人の山間に開かれ、鉱山は必然的に鉱山町の形成を伴った。人口は、最盛期の昭和35年、1万3594人に達した。
 戦後は労働者の確保を図るために福利厚生施設の充実が急務となり、公団住宅が一般化する前から、水洗トイレ・セントラルヒーティング完備の鉄筋コンクリートによる集合住宅や小・中学校、病院、活躍している芸能人を招いて公演を催す会館など、当時の日本における最先端の施設を備えた近代的な都市が形成された。別名「雲上の楽園」とも呼ばれた。現在はそれらの建物が山中に廃墟として残った。

# by natsuman | 2010-07-15 16:29 | Trackback | Comments(0)