5月22日(日) 我が町歴史探訪

 朝5時50分携帯が鳴るのを耳にしながら、今日は午後から歴史探訪で歩く事を思い出し、、そのままずるをする。このところ疲れ気味で少々億劫になったのである。それでも午前中は愛艇の整備に掛かり、プロペラシャフトのグランドパッキンの交換を行う。
d0013739_2234516.jpg此所はプロペラシャフトが船底を貫通している部分の水密装置で、きつければシャフトが熱を持つ。緩ければ浸水し、放っておけば沈没してしまうという厄介なところ。素人整備で水面に降ろしたとき浸水しないかと少々不安がよぎるが、まあ大丈夫だろう。そう思いあらためて船底を下から眺めると、小さな船のでっかい腹。正にタヌキの○○八畳敷きだ。

 午後は市立博物館恒例の”私の町の歴史探訪”に参加。九重地区大井・丸山真野地区を歩き回る。約4時間、距離5~6km、里山中の古い尾根道、街道筋をやぶこぎしながら訪ね回った。国道大井バス停から、血出石ー大井城址下ーバア神ー灯籠塚ー真野寺ー手力雄神社ー薬師堂ー大清水ー阿弥陀堂ー瓢箪淵の廻国供養塔と回った。d0013739_22402383.jpg
参加者はさすがに年配者が多く約70名。人気の岡田先生の説明でこの地の歴史を学ぶ。時は江戸時代から古くは室町平安時代まで飛んで再認識することの多いこと。しかも丁度新緑の時期。軽いハイキングと思えばこれまた楽しい半日でした。

 さて、この辺はかって銀爺がまだ独身の頃、さる地元の人とともに鉄砲肩にヤマドリ猟で駆け回ったところ。思えば今日のコースがかなり重なる。銀爺の目もついそういう目で谷津の奥、あのヤブ、向こうの茂みを見がち。あああそこでオスが出たっけな!ここからは群れで出た、おおそうだここでは見事逃げられたなと。あのころは一日駆け回ればヤマドリとの出会いが10羽も20羽もあった。35年くらい昔の話しだ。今ではせいぜい3羽か4羽だろう。それだけ鳥が減ったわけだが、実のところは生息環境があまりに変わりすぎたと云うことだろう。どこかしこも最近の山は荒れ放題で、山道もどんどん消えかかっている。谷津田も山の畑も少なくなるばかり。それどころか、山砂採取のために大きな山が一つ消えて、今またそこに都会のわけの分からぬ土砂が持ち込まれて砂漠めいた大地を広げている。そんなところに野鳥もいつまでも居られるわけがない。

 そう思えばそのころの農家の風景は今よりずっと貧しい雰囲気が漂っていた。逆にその分、自然はかえって豊かだったと気がつく。今では奥まで道路が整備され、舗装され、どこにでも車で入れる。電柱がやたら増え、一方古い家が消え、都会の住宅か別荘かと見まごう立派な家が目立つ。とともに伝えられてきた歴史も次第に霞の彼方に消えて行き、先生の話にも、本当のところはもうよく分からないんです、の台詞が多かったように思えてならなかった。
 
[PR]

# by natsuman | 2005-05-22 22:52 | 教育学習 | Trackback | Comments(1)  

5月21日(土) シューティング

久しぶりに友人を誘って射場に出かける。クレーシューティング。正式にはCrey Bird Shooting。直訳すれば粘土製の鳥を撃つ射撃。別名”飛鳥射撃”とも云う。d0013739_154681.jpg
 クレー射撃は種目がいろいろあるが、大きく分けて左右どちらへ飛び出すか分からないトラップ射撃と、一定のコースで飛び出す皿を半円状の射座を移動して射撃するスキーと射撃に分けられる。近来は実猟銃で対応可能なフィールド射撃や、より難しいダブルトラップ、あるいはウサギ猟を想定して地面を転がってゆく皿を撃つラビット競技などもある。射撃とは云っても要は実際に鳥や獣を的にしていた狩猟から人工的な的を打つスポーツに変化したもので、弓道やアーチェリーなどと同様の射的の一つである。
 射撃そのものは大きく分けてクレー射撃とライフル射撃があり、両者はかなり性質を異にする。クレー射撃は基本的に放出された動いている的を、一方ライフル射撃は動かないで静止している的を狙う。そこでクレー射撃を動的射撃、ライフル射撃を静的射撃などと云うこともある。両者の中間的な射撃もあるが、使用する銃器が大きく異なるので両方兼用というわけにはゆかない。今日は動的射撃の方。的が飛んでゆく奴だ。
d0013739_15483550.jpg 
 クレー射撃は射場の射座前方地下壕に設置された圧縮空気とバネ仕掛けのクレー放出機から、射手の合図によって秒速6~70mで飛び出す大きさ10cmほどの粘土製のお皿を、機械の後方約5mないし15mから散弾銃で射撃して粉砕するスポーツ。合図とともに高速で飛び出すクレーの方向を見定め、さらにその飛行線上に銃を送り、弾と的が合致する未来位置を予測し、照準線が的を追い越す、その追い越しざまに引き金を絞って粉砕する射撃だ。極めて高度な判断、鋭敏な判断を瞬間的に要求されるスポーツである。それゆえに感性のスポーツなどとも呼ばれる。判断所作ともに鈍重な人には全く向いていない。
d0013739_15495810.jpg
 それだけに見事散弾の中心が的をとらえ、皿が一瞬、煙となって消えたように粉砕できれば、これはもう快感の一言に尽きる。ましてや大きな耳をふさぐ音響とともに全身に受ける反動はやわな肉体や精神を吹き飛ばしてしまう。そうどんなもやもやも一瞬に吹き飛ばしてしまうダイナミックさがある。男のスポーツたる所以である。もっとも女性もやってますが・・・・。

 クレー射撃は通常1ラウンドと称して25枚の皿を射撃する。トラップでは射座が5座あり、5名が立ち、さらに1名が控えて、計6名で順々に射撃してゆく。射座によるクレー放出特性の不均衡をなくすためである。放出された一枚のクレーに対し2発発射できる。一発目で粉砕できればもちろんそれで良し。一発目が外れた場合、追い矢をかけるといって2発目の発射が許される。したがって腕が良ければ1ラウンド25発で済み、まるっきり下手なら50発が必要になる。

 こうしてもし全部命中したら”満射”という。銀爺などは残念ながら未だその経験がない。もちろんもうその可能性も殆どない。クレー射撃つまり動的射撃は、射手の肉体的精神的反応力の高低が成績に直に響く。その力は16歳から18歳位を最高点に、後は低下してゆくといい、クレー射撃ばかりは若さが絶対的にものをいう世界だ。
 日本では法律上20歳を過ぎないと銃が持てないから、これでは若い優秀な選手の出現は殆ど期待できない。最近は女子などでいい成績を挙げている人もあるようだが、すぐに選手交代でなくて後退してしまう嫌いがある。銀爺などはシルバーもいいところで、この歳で射撃をすること自体が凄いことだと我ながら思っている。しかしいくら元気だと云っても、老いばかりはどうしようもない。年々スコアは低下するばかりである。
 でいくら元気よく声をかけ、ここぞと引き金を引いても、お皿の多くは割れもせずに彼方へ飛んでいってしまうというわけだ。それでも何ラウンドか撃った後はスカッとして気持ちがいい。やめられないね!
 なお下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるというが、あれは嘘だね。下手はいくら撃っても当たらないというのが本当。今日は外に誰も来ず友人と二人の貸し切り状態だった。
[PR]

# by natsuman | 2005-05-21 15:52 | Trackback | Comments(1)  

5月20日(金) 空母望見!

 昨日の久しぶりのジムトレがたたって身体があちこち痛い。なさけない。それでも5時50分起床。城山に上がって今日の館山湾を俯瞰する。
 おっ、あの遙か沖合の巨大船は? 影のような船影だが、あれは航空母艦。東京湾に向かって北上中。そういえば厚木の夜間訓練が始まってどうこうと新聞にあった。タッチアンドゴーの艦載機の母艦なのだろう。

 昔、いつの頃だったかもう忘れたが、銀爺は横須賀に入港中のフォレスタル級空母”レインジャー”だったか?を見学したことがある。d0013739_2184352.gif飛行甲板の大きさ、広さ、水面からの高さに度肝抜かれ、甲板上をジープが走り回るの見て、これが空母かと感歎したのを覚えている。舷側のエレベーターで格納庫に降り、こりゃ野球が出来ると驚き、我が町のそれよりも大きなバーバーショップにため息をつき、大きなアイスクリームをご馳走になった。
 そのとき意外と思ったことが一つあった。甲板上のアイランドと呼ばれる司令塔、その中の艦長室が随分小さかったことだ。それに比べて航空管制室というのか戦闘司令室というのか、そういった部署が占める場所はいろんな機器が並んでいて何やら物々しく、その関係の指揮官の席の方がはるかにいい場所にあり立派だったことだった。
 今考えてみれば当たり前のことだが、ああやはり空母の中心的部署はこっちなんだと認識したものだった。その空母はもうとっくに退役したはず。だが外見や大きさは現在の原子力空母と殆ど変わらないだろう。横須賀に空母が来たというニュースを聞くたびに思い出す。

 銀爺は格別の軍艦マニアではないが、船舶の一つというとらえ方で軍艦についても一通りの知識を持っている。船のことは小学生時代からの興味関心事だったし、ある海事団体にいたこともあって、自衛艦や米海軍艦船、海上保安庁の巡視船、海事関係学校の練習船等、結構乗ったり見たりしている。但しそれは昔のこと。
 ある年、元自衛官の隣人に誘われて海上自衛隊の観閲式(但し予行)に同乗を果たした。横須賀から堂々の出航。東京から横浜から木更津からの艦を加え、浦賀水道を南下する頃には、いつの間にか巨大な艦隊が一列縦陣に。さらに相模湾で迎えるべつの一隊。d0013739_2194077.jpg遙か霞の中からあれよあれよという間に姿を現し行き交う艦隊。イージス艦を先頭に、”武き艨艟が(たけきもうどうが・と読む)・・・・”という言葉が脳裏をかすめる。艦砲発射、爆雷投射、ミサイル艇が行き交う、潜水艦が飛び出す、飛行艇が頭上をかすめる、精一杯の大サービス。年配の下士官が得々とお客さんに説明。お客さんは大喜び。

 だが銀爺は、えーっ、今の海上自衛隊って、こんなに大き艦を、こんなに沢山持ってるのかとびっくり。かってのブリキ艦隊しか知らない銀爺には驚愕である。しかも全てに旧海軍の伝統や技術が伝承されているという点も再認識。海上自衛隊は確実に後継の日本海軍だとも思った。 それにしても自分から見ればただ若いとしか云いようがない乗組員。銀爺はずっと艦橋の後方に陣取り、艦長以下、尉官級士官や下士、兵がキビキビと操艦していく様を興味深く見る。その感想は見ていて実に頼もしく格好が良かった。そしてああ軍隊とは若い集団だと改めて覚える。家内はいたく艦長が気に入ったようで格好よかったという。乗った艦は掃海艇母艦。5千トンくらいありそうな巨大な艦”ぶんご(基準排水量5700トン)”でした。
d0013739_21121792.jpg

[PR]

# by natsuman | 2005-05-20 18:23 | Trackback | Comments(0)