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我がマチ

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城ブームも変化が来た。
最近は中世の城に人気があるという。
なら館山城は正にそれに当たる中世の城。
石垣や天守は近世江戸時代のもの。
中世の城に石垣はない。専ら地形を利用した。
まして堅い石材に乏しい房州では石垣を使った城跡は見ることがない。
館山城は房総に君臨した里見氏十代最後の殿様、里見忠義の居城であった。
と云うと如何にも城山に居住したかのように聞こえる。
だが、そんな話は聞かない。
殆どは江戸詰であっただろう。
今は頂上に天守様の建物がある。でも実際にあったかは知らない。
ただ館があったことは確か。それが館山の地名のもとになった。
住民はそれを館山とは呼ばず、城山と呼ぶ。

里見氏は十代で終演した。
江戸詰中、大久保忠親への問責に連座して難癖を付けられ、
突然、鳥取県の倉吉に送られてしまう。
殆ど島送りに近い。そこで病没する。
ろくに喰うものもない生活であった。
墓は倉吉市の大岳院にある。
遺骨は家臣が密かに蛸壺に隠して安房国へ持ち帰ったと伝える。
その七人の賢臣のと称する墓石が近くにある。
悲劇の大名だった。

時代はさらに下って江戸の後期。
これにヒントを得て馬琴が壮大な物語り、南総里見八犬伝を著す。
今、天守閣は八犬伝博物館である。
そこから俯瞰する館山市街はこの地第一の街並みである。
我が家はこれとは反対方向だが、城郭内にある。
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by natsuman | 2017-06-26 15:07 | 歴史諸々 | Trackback | Comments(0)  

100年前はついこの間

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市内、渚の駅にある市立博物館分館の二階にこれがある。
往年の漁民生活のベースとなった漁師の暮らしぶりである。
海洋博物館のイメージとは合わない。
これは漁師の家だが、農家とてさほど大きな違いはない。
つい70年前位までは田舎の家はみなこんなもの。
これを懐かしいと感じる方はもう先が長くない。
実際、農家だった親父の生家だってこんな雰囲気。
手前の土間、上がりかまち、その近くに切った囲炉裏。
仏壇と神棚。そして奥の座敷。黒光りする柱や板戸。
記憶の中にある風景と何ら変わらない。もう少し大きかったか。
しかし、置かれている什器には少し違和感がある。
奥の二個ある長持は贅沢品だ。
手前の丸い茶卓。これは大正昭和の時代のもの。
囲炉裏があれば火鉢は普通は出てこない。
若い人の目からすればまるで時代劇かと思うだろう。
でも100年前の日本人の殆どはこんな家で暮らしていたのだ。
そんな雰囲気の中で、空襲を避けて約一年間、祖母の手で育てられた。
右手に部屋があった。入った左手、タンスの上にラジオがあった。
終戦時、玉音放送がそこから流れた。
因みに70年から100年前というのは親や祖父母の時代になる。
そんなに遠い時代ではない。
いや、ついこの間のことなのだ。
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by natsuman | 2017-06-25 08:05 | 暮らし | Trackback | Comments(0)  

地引き網の思いで

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上図は市立博物館分館の二階に展示してある地引き網のジオラマ。
中々良く出来ている。
目を近づけて横から見ると在りし日の情景が浮かんでくる。

地引き網は一網グループで契約して楽しんだこともある。
だが小さな地引き網タイプの稚魚網は学生時代に良く使い回した。
それよりも何よりも、幼児の時代から地引き網には懐かしい思い出が沢山ある。

母の実家の関係で夏には良く九十九里海岸に遊んだ。
だから衰退気味だったとはいえまだ続いていた地引き網を知っている。
女はみな上半身裸。男はスッポンポンの素裸。
どうだと云わんばかりに男のシンボルをさらけ出して。
何故か必ず先にワラナワを結んでいた。
浜の正装だったのだろうか。
でもさすがにこのジオラマではそうも行かなかい。(笑)

広い砂浜の漁業の悩みは如何にして漁船を海に出すかだった。
木造のごつい漁船を押し寄せる波をかき分けて浮かべねばならない。
重いシラを運び船を押し出すのは女の仕事だった。
胸を露わにした半裸の女性がそれを担った。

一つ一つ波を越えながら沖へと船は進む。
やがて網を落としながら魚群を巻いていく。
やや暫くして曳綱が浜に戻ってくる。
近くに居た人々が群がるように綱に取り付きぐんぐん曳いていく。
漁師はみな腰に巻いた小縄を持っている。
それを綱に器用にからげ、ヤッサー、ヤッサーと声をかけながら腰で曳いていく。
子供たちもみな一斉に取り付く。
やがて広い浜の奥にある機械小屋に持ち込まれた引き綱が、
焼き玉エンジン特有のポンポンという弾けるような音と共に巻かれていく。
袖網がどんどん浜に近づく。
ガキたちは網から逃げようとする小魚に一喜一憂する。
子供にとっては楽しい思い出だ。
最後に身網が浜に上がり、男達がアジやカマスその他諸々、小魚をタモで掬う。
バケツを持っていれば小さな子供でもハイヨッとアジを一掬い入れてくれる。
やがて茶店にトントンと音がして、
採りたて出来たての新鮮なアジのタタキが出来上がる。
ネギと味噌を和えて良く叩いた身を魚の形に整え、鱗代わりの網の目を入れて。
それを氷の上に載せて出してくれたものだった。
物憂い夏の浜の一服の清涼剤。そんな味と情景が目に浮かぶ。
70数年前のことだ。
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by natsuman | 2017-06-24 10:09 | Trackback | Comments(0)  

さかなクンが主役

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今や館山出身で一番注名なのはこの「さかなクン」だろう。
子供たちに絶大の人気がある。
彼の家は我が家から指呼の先にある。
滅多に見かけないが。
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夕日桟橋の根元に”渚の駅”がある。
それまでただの砂浜だった海岸を昭和の40年代に埋め立てた。
そこに県立の博物館が出来た。
ボクの知る限り当初は海洋博物館と名打っていた。
もしそうなら主役は広大な海洋そのものと”船”になる。
ところが開けてみると、展示も運営も妙に漁労文化博物館的なものだった。
海洋博物館というものへの理解が今ひとつ不足していたのではと思っている。
その後、県が施設を手放してさらに市立博物館(分館)と姿を変える。
そこで活躍するのが"さかなクン”。地元有名人だからこれを利用しない手はない。
先日何気なく覗いてみた。一室はなにやら"さかなクン”博物館の趣。
この絵が子供たちに人気がある。
しかもクニマスの発見で天皇陛下にまで賞賛された。
大学の名誉教授に祭り上げられるのも無理はない。
そのさかなクンが活躍では博物館の主役は完全に魚。
将来、”さかなクン博物館”、何てこともあるか・・・・・。

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by natsuman | 2017-06-23 10:04 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

都会は疲れる

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これまた過ぎ去った話し。
両親が他界して残る血のつながりは私と妹二人弟一人。
それにそれぞれの子供たち。
家系がそうなのか甥や姪の数は少ない。
しかも縁は段々遠のく。
してみると我が家系は先細るばかり。
田舎住まいのボクを除いてみな東京に暮らす。
元気そうだが誰も彼も高齢。
それでもたまにはと弟が動いて従兄弟会を開いた。
とはいえ母方の三姉妹関係のみ。
みんな年で一同画像はいささか憚る。
代わりに靖国通りの料理屋からの俯瞰を一枚。
新宿は歌舞伎町の前だ。
久しぶりの上京、しかも土曜日の新宿。
田舎者には都会の人の数、人いきれに翻弄される。
さすがに若者が多い。
しかも若い女性がみな太ももを露わにして闊歩。
老人は目のやり場に困る。
若い男の子も頭に血が上るだろう。
用が済んで早々に引き上げた。

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by natsuman | 2017-06-22 10:49 | まちなか | Trackback | Comments(0)  

ポ盃大会

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先日日曜日、39回目のポ盃大会があった。
正しくはポルトガル盃前装銃射撃大会と云う。
1543年にポルトガル人が持ち込んだ鉄炮伝来の歴史に則り開かれる射撃大会だ。
勝者にはポルトガル大使館から賞状や賞杯が贈られる。
ご覧の通り射撃大会である。
尤も射撃人口が滅茶苦茶に少ないから、実態は小会と云うべきか。

前装銃とは何だと仰る方もあろう。
要は古い形式の銃砲で、簡単に言えば先込式の鉄砲。
発射薬と弾丸を銃口から装填する。
英語のマズル・ローダーを和訳したものと云えば分かりいい。
それにも色々あるのだが、日本では専ら火縄銃が主役だ。
世界的には火縄銃は銃器改良の過程で殆どが歴史の彼方に消えていった。
それが洗練されたものとなって多数残っているのは日本だけ。
国際大会では選手はみな日本製を使っている。
なお又、有色人種あるいはアジア人で銃器を自分のものにしたのは日本人だけ。
これは誇って良い歴史的事実だ。
受け入れる工業的技術があったという証拠。
もの作り日本の原点がここにある。
それだけに鉄炮伝来は日本にとって実にエポック・メイキングで、
教科書にもあるように日本人誰しもが知っておくべき事としている。
その歴史を背負って幕末まで残っていたのが武道としての古式砲術。
その文化を絶やすまいと今はスポーツの形で継承し、
さらには後世に伝承しようとして各種大会がある。
残念ながら膝と肩の痛みに耐え、病み上がりの細腕では出場は適わなかった。
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by natsuman | 2017-06-21 08:42 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

延ばせ桟橋

海岸へ出ておやと思った。真っ白い客船が夕日桟橋に着いている。
昨日の朝のことだ。青空に船体が映える。
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パシフィック・ビーナス号。
時々当地へやってくる。
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そんなに大きな船ではない。
でもちょこまかした船しか居ない館山湾では他を圧倒する。
実は桟橋が予算の関係で中途半端。
もっと大型の船も着岸出来るよう、沖合の水深のある先まで延ばす予定だった。
結果、水深の関係で利用できる船舶に限りがある。
案の定、大型のクルーズ船は利用出来ない。
拡張工事の計画がある。
だが、今でも先端へは500mも歩かされる。
それがさらに延びたら、ボクには縁がなさそうだ。
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by natsuman | 2017-06-20 16:02 | 艦船舟艇 | Trackback | Comments(0)  

海上交通の知識

あるブログがある。その道の関係者には権威と思われている(らしい)。
当人がそう自任している節もある。世間ではオタクと云う部類だろう。
軍事関係、武器兵器に委しい。自衛隊との強力なコネもあるようだ。
そんな訳か、今度の衝突事故でも早速に解説を試みた。
だが、どうも、この御仁、海のこと船のこととなるとまるで素人のようである。
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何年か前に自衛艦あたごと漁船の衝突事故があった。
その折も、アレレと思ったものだ。
今回また相模湾で米国イージス艦とコンテナ船の衝突事故が起きた。
艦側に相当なダメージがあって死者も出た。
軍艦と商船の事故。いろいろな意味で後世に課題を残すことになった。
海難審判がどうなるのか。それさえまだ定かではない。

両船の事故に至る迄の進路や速度は分からない。
だが両船の当たり所からすると、両船の航路がもし行き会い関係にあったとすれば、
コンテナ船が進路保持船に、艦側が相手を避けるべき立場の避航船になる。
避けるべきは米艦となる。状況が良く分からない今の段階では。

確かにコンテナ船の船首部が米艦の側面に衝突している。
艦長室のある辺りだ。
素人目にはコンテナ船がぶつけたと映る。
しかしそれでもって頭からコンテナ船に非があるとするのはまだ早い。
非はまだどちらにあるか分からないからだ。

それをはなから一方だと決めつけるのはどんなものだろう。
軍艦だからといって特別な権利や航法があるわけではない。
海上では軍艦も商船も、漁船やヨットでも同格だ。
とても海や船に委しいようには見えない。単なる軍艦びいきではないか。
船も飛行機も航行の原則は同じ。何を根拠に断じたのか不思議なお人だ。

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by natsuman | 2017-06-19 13:44 | 艦船舟艇 | Trackback | Comments(0)  

地ウイスキー

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 娘が父の日プレゼントだとウイスキーセットを持ちこだ。
 いつもなら靴下くらいで誤魔化すのに珍しい。
 貰い物は洋酒に限る。それもウイスキーが宜しい。
 シングルモルトが好み。なければ仕方がないがブレンドものは後回し。
 スコッチなら味わいの荒々しさに期待感が増す。
 つい顔もほころぶ。昔日に比べればお安くなったのも嬉しい。
 しかし年金暮らしにとって上物は中々手を出しにくい。
 見直すべきは国産ウイスキー。中々良いのがある。
 白州や余市は格別にお気に入りだ。ただ意外にお高い。 
 
 そこで中級品を色々試している。ビートが効いてまろみのある国産ウイスキー。
 地ウイスキーなんて云うこともあるらしい。それでも下手な輸入物より格段に美味い。
 
 そこへこのプレゼント。これは嬉しい。既に呑み付けているものもある。まだ試してないものもある。父の日にと構えていたがまだ開けていない。
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by natsuman | 2017-06-19 09:22 | 美酒佳肴 | Trackback | Comments(0)  

旧市街の再開発

このところ、朝の5時半過ぎには街中の細道を自転車で走り回っている。
50数年住んでいて始めて通る道もあり、日々発見の繰り返しだ。
中世以来の古い町だけあって、いやもう細い道の何と多いことか。
当時は大道だったかも知れない。が今では車も通れない細道路地が大半だ。
通行は専ら脚で、乗物と云っても馬か籠しかない時代ならいざ知らず。
この街の一体どこに道路開発があるのだろう。
都市計画なんて考えもしないのかと疑念さえ湧いてくる。

目立つは空き家。それも古い貸家。放置され、朽ちかけたようなものが。
昔日、海軍航空隊が開設されて以来、当地には貸家の需要があった。
今も海自の兵士や家族向けの需要がある。今新しい感覚の建物に替わっている。
ところが時代にそぐわない古い貸家が今も随所に残る。

進入路が細いため建築許可が降りないのか。地元の零細企業では大型の開発が難しい故か。
細い路地の奥に点在する空き屋、空き地。放置された貸家に驚く。
住民の高齢化、過疎化。地方都市に課題は多いが旧来の住宅地の道路再開発がまず必要のように思える。
道路さえ解決すれば、旧市街があっという間に蘇るかも知れないのだ。

それでいて新築も結構多い。立派な家宅も少なくない。
問題は狭い中にはめ込んだような如何にも窮屈そうな市街と家並み。
あれでは消防にも救急にも差し障りがある。いざというとき困るだろう。


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by natsuman | 2017-06-17 09:47 | 暮らし | Trackback | Comments(0)