<   2017年 06月 ( 25 )   > この月の画像一覧

 

一宮というところ

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正しくは上総一宮だろう。
九十九里浜は太東から一宮、白子、片貝、・・・・と浜が北へ延びる。
自然な風景が好まれたか一宮は戦前から別荘地だった。
田舎にしては都会の文化が早くから流れ込んだ。
同じように静養地で会った房州とは雰囲気が少し異なる。
交通事情がそうさせたのだろうか。
一宮は今はサーフィンの町である。
そのせいか若者向きのお店が随所にある。
ましてここは東京オリンピックのサーフィン競技場になる。
尤も老人にはあまり縁がなさそう。
そこに古くから石窯ピザを売り物にする店があった。
いつも前を通っては、またもお休みかと歎いてきた。
幸い今回はOK。だが名物石窯ピザは今やっていないという。
どういう事情か知らないが、またも食べ損ねた。
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by natsuman | 2017-06-30 09:26 | Trackback | Comments(0)  

浜に長城を築く

困った。昨年新調した眼鏡が行方不明。
土曜日の午後、草を刈った。大仕事だった。
病では出来るはずもないが、床に伏していて刈り時を逸したのだ。

その静養も兼ねて週の初めに温泉に行くつもりだった。が眼鏡がなくては・・・。
もちろん探しに探した。もしかしてと三度も膨大な刈草の中を探した。だがない。
でも作業の最中とは云え眼鏡が外れるなんて普通はあり得ない。
どこかに自分で外して置いたに違いないと思うのだが記憶がない。
とりあえず古い眼鏡で我慢してる。慌てて再注文したら出てきた何てことのないように。
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梅雨時で天候は晴れない。気持ちも晴れない。
気分を変えようとぶらぶら海岸沿いに北へ車を走らせた。
外房から九十九里へと。見慣れた沿道の景色が大分変わったのを実感する。
九十九里有料道路は工事のため閉鎖中。
かさ上げして津波対策用の堤防にするらしい。

九十九里は幼少の頃からの曽遊の地。
また仕事でもしばしば通った。あちこちに思い出がある。
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しかし有料道路のお陰で広い浜が分断され浜は容貌を変えた。それでも広いが。
一角に旧九十九里センターがコロッセウムの如く威容を誇る。
その旁らに、海に向かって”智恵子抄”がある。
だが有料道路によって斯界を遮られてしまった。
智恵子は海が見えなくなって悲しんでるだろう。
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by natsuman | 2017-06-29 09:30 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

米艦側がどう釈明するか

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イージス艦とコンテナ船の衝突事故。どうも米艦側が怪しくなってきた。
コンテナ船が先に気がついて自船の存在をイージス艦に知らせようとライトを付けるなどして注意を喚起したらしい。
しかし一向に変化がない。衝突の危険を感じたコンテナ船は急遽、手動操舵に切り替え、右に舵を切ったものの間に合わず衝突したと云ってるらしい。
残念ながら米艦側の説明はない。米国のコーストガードが調査に乗り出したようだが、日本のコーストガードである海保は米艦を調べられない。
衝突事故が起きたのは事実。それなりに米側から事故の状況を説明すべきなのだが未だ口をつぐんだまま。
そんな状況でコンテナ船側の言い分だけで一方的に軽々しく断定すべきでないのは当然としても、どうもそれありなんと思ってしまいがちだ。それが事実なら明らかに衝突を避けるべきは米艦側にあることになる。
実際あり得る話しだと思う。
相手が軍艦なら高性能な機器を装備していて周囲の船舶を見落とすことなどない。まして事故原因が米艦側にあるはずも無いと信じる方もあろう。
だがそれは違う。航海の基本は目視だ。計器の有無や優劣ではない。夜の航海はその基本が試される。今でこそレーダーで確認出来るが、それはお互いの航路が行き会い関係や追い越し関係に入る前。衝突の危険が生じる前のことだ。近づけば目視による警戒の目線と操船が重要になる。それが海上交通の基本である。例えそれが軍艦であろうが商船や漁船であろうがである。要は装備品の優劣ではない。
昼間なら普通は相手が見える。が夜は闇の中に船体が隠れる。レーダーで周囲に船舶があることを確認し、かつその行動を監視する。
近づけば闇に目を張って航海灯の動きから航路の先を予測し衝突を避ける。だが航海灯は闇に浮かぶ点のようで小さく、その動きから互いの関係を判断するのは難しい。
夜間、見えるのは航海灯だけと思って間違いない。船影はもちろん船体は見えない。まして軍艦は昼間でも背景に溶け込んで見えにくい。夜は灰色の船体が闇に溶け込む。小さな航海灯の下に長く巨大な船体があることに気がつかないということもある。
ましてや空調の効いたブリッジで眠い目をこすりながらの見張りと操船では尚更。こればかりは実際に闇の中の航海を経験したことがない人には想像できないかもしれない。



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by natsuman | 2017-06-27 10:51 | のりもの | Trackback | Comments(2)  

我がマチ

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城ブームも変化がある。
最近は中世の城に人気があるという。
なら館山城は正にそれに当たる。
石垣や天守は近世江戸時代のもので、
中世の城に石垣はない。専ら地形を利用した。
まして房州は堅い石材に乏しい。城跡に大規模な石垣はない。
館山城は里見氏最後の殿様、里見忠義の居城であった。
と云うと如何にも城山に居住したかのように聞こえる。
だが、殆どは江戸詰であった。
今は頂上に天守がある。しかし中世の城にあったかどう。かなり怪しい。
ただ館があったことは確か。それが館山の地名のもとになった。
住民はそれを城山と呼ぶ。

里見氏は十代で終演する悲劇の大名だった。
江戸の初期、まだ德川幕府が外様の動静に目を光らせていた時代。
里見忠義は大久保忠親への嫌疑に連座したと難癖を付けられ、
突然、鳥取県の倉吉に送られてしまう。
殆ど島送りに近い。犯罪者扱いであった。
ろくに喰うものもない生活の中、病没する。
墓は倉吉市の大岳院にある。
家臣が密かに遺骨を蛸壺に隠して安房国へ持ち帰ったと伝える。
その七人の賢臣のと称する墓石が近くにある。

時代はさらに下って江戸の後期。
これにヒントを得て馬琴が壮大な物語り、南総里見八犬伝を著す。
今、天守閣は八犬伝博物館である。
画像はそこから俯瞰する館山市街。
我が家はそこにない。これとは反対側の城郭内にある。
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by natsuman | 2017-06-26 15:07 | 歴史諸々 | Trackback | Comments(0)  

100年前はついこの間

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市内、渚の駅にある市立博物館分館の二階にこれがある。
往年の漁民生活のベースとなった漁師の暮らしぶりである。
海洋博物館のイメージとは合わない。
これは漁師の家だが、農家とてさほど大きな違いはない。
つい70年前位までは田舎の家はみなこんなもの。
これを懐かしいと感じる方はもう先が長くない。
実際、農家だった親父の生家だってこんな雰囲気。
手前の土間、上がりかまち、その近くに切った囲炉裏。
仏壇と神棚。そして奥の座敷。黒光りする柱や板戸。
記憶の中にある風景と何ら変わらない。もう少し大きかったか。
しかし、置かれている什器には少し違和感がある。
奥の二個ある長持は贅沢品だ。
手前の丸い茶卓。これは大正昭和の時代のもの。
囲炉裏があれば火鉢は普通は出てこない。
若い人の目からすればまるで時代劇かと思うだろう。
でも100年前の日本人の殆どはこんな家で暮らしていたのだ。
そんな雰囲気の中で、空襲を避けて約一年間、祖母の手で育てられた。
右手に部屋があった。入った左手、タンスの上にラジオがあった。
終戦時、玉音放送がそこから流れた。
因みに70年から100年前というのは親や祖父母の時代になる。
そんなに遠い時代ではない。
いや、ついこの間のことなのだ。
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by natsuman | 2017-06-25 08:05 | 暮らし | Trackback | Comments(0)  

地引き網の思いで

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上図は市立博物館分館の二階に展示してある地引き網のジオラマ。
中々良く出来ている。
目を近づけて横から見ると在りし日の情景が浮かんでくる。

地引き網は一網グループで契約して楽しんだこともある。
だが小さな地引き網タイプの稚魚網は学生時代に良く使い回した。
それよりも何よりも、幼児の時代から地引き網には懐かしい思い出が沢山ある。

母の実家の関係で夏には良く九十九里海岸に遊んだ。
だから衰退気味だったとはいえまだ続いていた地引き網を知っている。
女はみな上半身裸。男はスッポンポンの素裸。
どうだと云わんばかりに男のシンボルをさらけ出して。
何故か必ず先にワラナワを結んでいた。
浜の正装だったのだろうか。
でもさすがにこのジオラマではそうも行かなかい。(笑)

広い砂浜の漁業の悩みは如何にして漁船を海に出すかだった。
木造のごつい漁船を押し寄せる波をかき分けて浮かべねばならない。
重いシラを運び船を押し出すのは女の仕事だった。
胸を露わにした半裸の女性がそれを担った。

一つ一つ波を越えながら沖へと船は進む。
やがて網を落としながら魚群を巻いていく。
やや暫くして曳綱が浜に戻ってくる。
近くに居た人々が群がるように綱に取り付きぐんぐん曳いていく。
漁師はみな腰に巻いた小縄を持っている。
それを綱に器用にからげ、ヤッサー、ヤッサーと声をかけながら腰で曳いていく。
子供たちもみな一斉に取り付く。
やがて広い浜の奥にある機械小屋に持ち込まれた引き綱が、
焼き玉エンジン特有のポンポンという弾けるような音と共に巻かれていく。
袖網がどんどん浜に近づく。
ガキたちは網から逃げようとする小魚に一喜一憂する。
子供にとっては楽しい思い出だ。
最後に身網が浜に上がり、男達がアジやカマスその他諸々、小魚をタモで掬う。
バケツを持っていれば小さな子供でもハイヨッとアジを一掬い入れてくれる。
やがて茶店にトントンと音がして、
採りたて出来たての新鮮なアジのタタキが出来上がる。
ネギと味噌を和えて良く叩いた身を魚の形に整え、鱗代わりの網の目を入れて。
それを氷の上に載せて出してくれたものだった。
物憂い夏の浜の一服の清涼剤。そんな味と情景が目に浮かぶ。
70数年前のことだ。
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by natsuman | 2017-06-24 10:09 | Trackback | Comments(0)  

さかなクンが主役

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今や館山出身で一番注名なのはこの「さかなクン」だろう。
子供たちに絶大の人気がある。
彼の家は我が家から指呼の先にある。
滅多に見かけないが。
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夕日桟橋の根元に”渚の駅”がある。
それまでただの砂浜だった海岸を昭和の40年代に埋め立てた。
そこに県立の博物館が出来た。
ボクの知る限り当初は海洋博物館と名打っていた。
もしそうなら主役は広大な海洋そのものと”船”になる。
ところが開けてみると、展示も運営も妙に漁労文化博物館的なものだった。
海洋博物館というものへの理解が今ひとつ不足していたのではと思っている。
その後、県が施設を手放してさらに市立博物館(分館)と姿を変える。
そこで活躍するのが"さかなクン”。地元有名人だからこれを利用しない手はない。
先日何気なく覗いてみた。一室はなにやら"さかなクン”博物館の趣。
この絵が子供たちに人気がある。
しかもクニマスの発見で天皇陛下にまで賞賛された。
大学の名誉教授に祭り上げられるのも無理はない。
そのさかなクンが活躍では博物館の主役は完全に魚。
将来、”さかなクン博物館”、何てこともあるか・・・・・。

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by natsuman | 2017-06-23 10:04 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

都会は疲れる

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これまた過ぎ去った話し。
両親が他界して残る血のつながりは私と妹二人弟一人。
それにそれぞれの子供たち。
家系がそうなのか甥や姪の数は少ない。
しかも縁は段々遠のく。
してみると我が家系は先細るばかり。
田舎住まいのボクを除いてみな東京に暮らす。
元気そうだが誰も彼も高齢。
それでもたまにはと弟が動いて従兄弟会を開いた。
とはいえ母方の三姉妹関係のみ。
みんな年で一同画像はいささか憚る。
代わりに靖国通りの料理屋からの俯瞰を一枚。
新宿は歌舞伎町の前だ。
久しぶりの上京、しかも土曜日の新宿。
田舎者には都会の人の数、人いきれに翻弄される。
さすがに若者が多い。
しかも若い女性がみな太ももを露わにして闊歩。
老人は目のやり場に困る。
若い男の子も頭に血が上るだろう。
用が済んで早々に引き上げた。

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by natsuman | 2017-06-22 10:49 | まちなか | Trackback | Comments(0)  

ポ盃大会

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先日日曜日、39回目のポ盃大会があった。
正しくはポルトガル盃前装銃射撃大会と云う。
1543年にポルトガル人が持ち込んだ鉄炮伝来の歴史に則り開かれる射撃大会だ。
勝者にはポルトガル大使館から賞状や賞杯が贈られる。
ご覧の通り射撃大会である。
尤も射撃人口が滅茶苦茶に少ないから、実態は小会と云うべきか。

前装銃とは何だと仰る方もあろう。
要は古い形式の銃砲で、簡単に言えば先込式の鉄砲。
発射薬と弾丸を銃口から装填する。
英語のマズル・ローダーを和訳したものと云えば分かりいい。
それにも色々あるのだが、日本では専ら火縄銃が主役だ。
世界的には火縄銃は銃器改良の過程で殆どが歴史の彼方に消えていった。
それが洗練されたものとなって多数残っているのは日本だけ。
国際大会では選手はみな日本製を使っている。
なお又、有色人種あるいはアジア人で銃器を自分のものにしたのは日本人だけ。
これは誇って良い歴史的事実だ。
受け入れる工業的技術があったという証拠。
もの作り日本の原点がここにある。
それだけに鉄炮伝来は日本にとって実にエポック・メイキングで、
教科書にもあるように日本人誰しもが知っておくべき事としている。
その歴史を背負って幕末まで残っていたのが武道としての古式砲術。
その文化を絶やすまいと今はスポーツの形で継承し、
さらには後世に伝承しようとして各種大会がある。
残念ながら膝と肩の痛みに耐え、病み上がりの細腕では出場は適わなかった。
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by natsuman | 2017-06-21 08:42 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

延ばせ桟橋

海岸へ出ておやと思った。真っ白い客船が夕日桟橋に着いている。
昨日の朝のことだ。青空に船体が映える。
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パシフィック・ビーナス号。
時々当地へやってくる。
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そんなに大きな船ではない。
でもちょこまかした船しか居ない館山湾では他を圧倒する。
実は桟橋が予算の関係で中途半端。
もっと大型の船も着岸出来るよう、沖合の水深のある先まで延ばす予定だった。
結果、水深の関係で利用できる船舶に限りがある。
案の定、大型のクルーズ船は利用出来ない。
拡張工事の計画がある。
だが、今でも先端へは500mも歩かされる。
それがさらに延びたら、ボクには縁がなさそうだ。
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by natsuman | 2017-06-20 16:02 | 艦船舟艇 | Trackback | Comments(0)