カテゴリ:教育学習( 195 )

 

罪深きアメリカ

 教育勅語には次のようなことが書かれている。
1.孝行    親に孝養を尽くしなさい
2.友愛    兄妹・姉妹は仲良くね
3.夫婦の和   夫婦は仲睦まじく
4.朋友の信  友達は互いに信じ合おう
5.謙遜    常に慎み深く奢ることのないよう
6.博愛    全ての人々を広く愛し
7.修学修業  勉学に励み職業に精進し
8.知能啓発  知能を養い才能を切り開き
9.徳器成就  徳を養い人格を磨いて
10. 公益成務  進んで公益を広め世のために働き
11. 遵法    国の定めた法律を重視し遵守しましょう
12. 義勇奉公  もし非常事態になったなら、正義と勇気の心をもって公の為に尽くしましょう
 そして、以上を以て国運がいつまでも続くよう国民は扶け合いましょう、と結語している。

 これのどこがいけないのか。面白いことに教育勅語に反対する人々も、大方はその内容が怪しからんとしているわけではないらしい。天皇が命令するというような形式的な部分が怪しからんと云うのだ。
 原文は確かに権威ある者が高みから国民に向かって、我に尽くせよと命令調である。でもそれは当時の国民に布達する際の一般的なものの言い方で、そう捉えれば何もそうワメくことでもあるまい。それよりこの程度のことでいきり立つ心情こそ哀れに思える。
 戦後、アメリカが日本に課した自虐感の押しつけは罪深い。それを今に至ってされるがままではあまりにも情けない。

[PR]

by natsuman | 2017-04-07 09:13 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

今の子は幸せ

d0013739_10150690.jpg 昨日は孫の卒業式。
 成績も宜しく如何にも女の娘らしく可愛く育っている。
 母親が写真を送ってきた。それがまるで大正時代の女の子みたい。着ものに袴。聞けばレンタルという。
 でも小学生ですよ。少々華美に過ぎないかと心配になる。
 ボクが卒業の頃はまだ戦後の混乱期。世間一般、生活に手一杯。子供の服装は質素の限りだった。何を着て卒業式に出たかよく覚えていない。
 ただろくなものを着ていなかったことだけは確か。大体、あの頃子供服なんてあったかと思うほど。朝ドラの子供服など海の向こうの世界だった。
 母は文化服装学院の出。妹二人にはせっせと手作りした。お陰で周囲のそれに比べれて随分と洒落たものを着ていた。
 だが母の洋裁は婦人向け。男物ではない。子供服とはいえ女子用とは違う。ボクには廻ってこなかった。小中学時代、もう少しマシな服を着たかったという思いが今もある。


[PR]

by natsuman | 2017-03-17 10:22 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

いつか辞書がなくなる

 ある辞書編集者が朝刊のコラムに書いていた。今や辞書の利用が激減している。その原因は、まず電子辞書の出現。とそれにも増してスマホの利用が激増したからという。
 実際、電子辞書ほど便利なものはないと常々思っていた。我が家も食堂の旁らにいつも置いてある。テレビから流れてくる言葉。新聞に載っている言葉。一寸分からないものは直ぐに引きだして理解に努める。
 お陰で我が家の辞書、百科事典、その他の類は、みな不要品となって行き場を失っている。その処分に頭が痛い。
d0013739_14022533.jpg

 ところで辞書を永年使ってきた人は紙の辞書が一番使いやすいという。だがボクは電子辞書が使いやすい。書斎にも置いている。
 考えればこれで言葉の真意を知る楽しみを知った。もっと早く高校生の頃にこれがあったらなと何度思ったことか。
 しかしそれが最近少し様子が変わってきた。電子辞書よりもスマホを利用することを覚えたから。スマホは携帯式パソコンのようなもの。
そのパソコンも、もっと早く身近な道具になっていてくれればと何度思ったか。
 だがパソコンの利用はほんの入口の技術。インターネットが巨大な電子辞書・百科事典となって、それが今やスマホで使える。鉄腕アトムが利用した夢の電話が実現して、さらに携帯となったのはまだそんなに遠い時代ではない。なのにスマホが今や巨大な知の宝庫と繋がった。しかもスマホは電子辞書のようにキーを打ち込まなくていい。
 但し、回答や情報は必ずしも絶対的に正しいとは限らない。かなりいい加減、あやふやなものもある。それは拾わなければならない。要は情報過多と曖昧さがまだ蔓延しているわけだ。
 そこで先の辞書編集者が言う。辞書というものは各社によって若干意味が違う。解釈に色づけがある。そこで是非、各社共謀(いい意味でね)して言葉の意味の統一を図り、各社ある辞書機能を一つか二つにまとめたいと。
 うーん確かにそうだ。何しろぞろぞろ説明が出てくる。どれを取るかで悩むこともしばしば。直ぐには難しいらしいがこれをきっかけに是非いつかそうなることを期待しよう。
 でも待てよ。そうなると人間の記憶能力は要らないことになる。AIの世界だ。ならば記憶能力を試すような受験問題は意味がない。これからは道具を如何に旨く扱えるかが試験問題になったりするかもしれない。計算能力も同じ。既に試験場に計算機を持ち込んでも良いとする例もある。その伝で行けば、将来、試験場にスマホを持ち込んでも良しとするかもしれない。
 であれば知識の塊のような職業は価値が薄くなる。パソコンが教えてくれるから大学教授は要らない、なんてね。
人類の将来は、ますますお馬鹿さんになるのかと、ちょっと心配だ。

 ああそうそう。城山の花の先駆け。公園脇道の大島桜が咲き始めましたよ。

[PR]

by natsuman | 2017-03-16 14:03 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

読書の傾向

d0013739_11173753.jpg
 若い頃、歴史は好きでなかった。第一、歴史を勉強した記憶があまりない。
 中学や高校に歴史科目がなかった、社会科の中で教わっただけ。
 今とは学制が異なり、学校で教える科目が違っていた。
 何しろ戦後最初の新制小学校入学組である。一つ年上は国民学校入学だ。
 学校教育の混乱期だった。色々変遷があったように思う。
 高校時代の数学は代数や幾何で、その後に数学Ⅰ、数学Ⅱに改称された。
 今は何というか知らない。
 戦後の混乱期、GHQから旧来の歴史を教えることが禁じられた。
 歴史なんてとんでもないと云うことだった。
 結果、歴史を勉強したことはなかった。
 それが今は、本を読むと云えば専ら歴史的なものばかり。
 但し、歴史小説のようなものは滅多に読まない。
 架空のあるいは作り出した世界よりこれが真実だという方に興味がある。
 しかも技術的なものに特に興味が深い。

 元々、小説という世界にあまり興味がない。
 ただし「海洋小説」というジャンルを除いては。最近は新刊が少ないのが残念だが。
 それを除けば自分でも呆れるくらい歴史物ばかり読んでる。
 画像は今デスクで出番を待っている本。
 が外にもある。何冊も埃を被って出番を待っている。
 小遣いの大方は本代に消えていく・・・・。
 
[PR]

by natsuman | 2016-09-21 11:40 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

本を読みますか 5/19

d0013739_18584883.gif 父も母も割に良く本を読んだ。週刊誌や月刊誌を本というのは少し抵抗があるが、文字媒体に違いはない。それもネット時代になる遙か前のこと、本は読み物であり情報収集手段であった。
 実際、新聞4種、週刊誌数種はもちろんのこと、「文藝春秋」や「オール読み物」などはいつも傍にあった。加えて母は「装苑」や「家庭画報」のようなものも取ってたし、ボクはボクで「少年倶楽部」や後の「少年」などを、中学の頃は「科学朝日」や、航空機や船舶関係の専門雑誌を読みあさっていた。父が社の図書館から借りた単行本も年中そこらにあった。読書は当たり前の生活である。「ケイン号の反乱」を読んだのもその頃。あれは面白かったとの記憶が今もある。
 今の若い者は本を読まないという。必要な知識はネットで直ぐに分かるから無理もない。ボクだって便利にしてる。でも本から得られる知識や感動、愉悦はそれとは全く別物と言いたい。
 文字を読み理解するというのはある種高等技術である。読書の習慣が身につけば、さらに他人の意見に接し、自己の主張を固めることも出来るようになる。つまり他人の意見に耳を貸すことが出来る。それだからこそ自分の意見も育つわけで、より教育的な社会に身を置くことも可能だ。
 読書習慣は大人社会への登竜門とも云える。教育が読み書きそろばんと称されるのも故なきわけではない。手始めは楽しみや感動を与えてくれる小説でいい。若い内に読書習慣を充分ものにしておきたいものだ。
 読書は趣味という。趣味に乏しい人に限って趣味は読書と言うこともある。だが趣味に止めては惜しい。読書は人間形成に不可欠な必須要件ではないのか。本を読まなくてどうやって知識を得るのか。どうやって世の中を知るのか。そう心得たいもの。
 本は毎日読む。とっかえひっかえ、いつも三冊位は併読だ。場所は書斎だったり居間だったり、寝床だったりトイレだったり。あちこちに置いてある。とはいえ最近は長時間の読書は難しくなった。
 直ぐに眠気が差してくる。いかに面白くても肉体がそうなる。やむなく今日はここまでが多くなった。これも老化である。
[PR]

by natsuman | 2016-05-19 19:05 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

古文書解読・第二弾 4/3

d0013739_1548456.jpg 柄にもなく古文書解読の世界に踏み込んで一体何年経つだろうか。良く覚えていないが十数年は経っている。
 そもそもは入門書を購入して独学で始まった。次いでこれは面白そうだと市立博物館の初級古文書講習会に出席。そうこうしているうちにいつしか上級講習会の末席に連なり、それがまたいつのまにか研究会員に。今は城山古文書研究会の一員となっている。
 以前この会は、和田町の鍋屋嘉兵衛という商人の書いた「伊勢道中旅日記」を数年掛けて解読し、一冊を世に出した。そして今年再び第二弾を送る運びとなった。
 題して「安政三年・修験文殊院・道中日記」。A4サイズ、三百十数頁に及ぶ大作である。これに原本のコピーと、解読文に現代語訳、さらに参考資料を添えてある。
d0013739_1547301.jpg 商人だった鍋屋嘉兵衛さんによる道中記と違い、今度の筆者は僧籍にある身。当時としては教養ある知識人。日記には随所に歌あり詩あり、知識の披瀝ありで、学才がほとばしっている。感嘆した風景は軽妙なスケッチに写し詩情を感性豊かに散らしている。
 これを読んでその行間にあふれる情景に憧れた。ついには勢い余って現地へ出かけ、往年の風向を想像した。可能ならば江戸時代に戻り、この日本の美しい風景を見たかったとつくづく思う。
 何れ市中の書店に出る。一度ぜひ手にとって、あのバカはこんな事やってるのかとお笑い下さい。部数はわずか200部。欲しい方はお早めに。但しまだ値段が決まっていません。
[PR]

by natsuman | 2016-04-03 09:14 | 教育学習 | Trackback | Comments(3)  

旅も明治に 11/4

 このところ雨風で二日間足止め。夕べは天気予報通り西風が強まった。一晩中、ガタガタ、ビシビシ、ヒューヒュー、ゴーゴー、ザワザワと風の音が喧しくて、とてもぐっすりとは眠れない。いささか寝不足だ。
 房州名物の大西風と云いたいところだが、これは全国的だ。前回の大西風は20m/s程度だったが今回は時に30m/s近く吹いたのではないか。外が明るくなっても止む気配はない。
d0013739_9175061.jpg

 お陰で古文書解読資料の作成が進んだ。これまで江戸時代の旅日記を紐解いていたが今度は明治26年のそれだ。今度の主人公は乗り物があるところはどんどん利用する。汽車、汽船、馬車、人力車。旅の様相もがらりと様変わり。そのルートを見るだけでも、かっての主要街道や宿場が廃れていくのが想像できる。
 それでも廻る場所はそう変わらない。伊勢参宮と称しつつ奈良、讃岐、兵庫、大阪、京都、長野に日光へと脚を延ばす。
 旅はひっくるめれば観光が目的。社寺参詣、名所旧跡探勝といったところだ。まだまだ歩くのが達者とは云え、旅人は乗り物を盛んに利用する。それまでの自分の足に代わって、ここに交通機関の利用、つまり交通費というものが誕生する。
 明治の中頃ではまだ鉄道開発の初期。官営鉄道の開発目的はそれぞれあったはずだが、庶民も社寺参詣の旅に盛んに重用したことが窺える。
 その後の乱立する会社線の多くも参詣客目当てだったと鉄道の歴史は語っている。今それらは消えつつあるが。
[PR]

by natsuman | 2015-12-04 09:14 | 教育学習 | Trackback | Comments(2)  

解題とは聞き慣れない 10/20

d0013739_14412850.jpg 今朝まで、今日は10時から古文書講習会があると承知していた。ところが実際に気がついたのは何と1時過ぎ。
 朝8時半頃からキーに向かい、いつものメルマガとブログを読む。がその後がいけなかった。
 今朝ラジオ体操の場で古文書研究会の世話役から、これを参考に書いてくださいと云われたものがあった。研究会発行の第二弾。これまた道中記なのだが、その印刷原稿ができあがったから、お前「解題」を書けという。
 発行に関する役割分担は既に決まっていると有無を云わさぬ口ぶり。困った。でも仕方がないかと資料を受け取ってしまった。
 解題なんて書いたことがない。大体「解題」って何なのかよく知らない。辞書を紐解いてフーンそういうものかと納得はしたが、でもどういう風に書けば良いのかと悩ましい。
 ともあれ前のを参考に何とか買き出したら、さあ、それが止まらない。書いては消し、消しては書く3時間。あっという間に時が過ぎていった。
 そうだ講習会がと気がついた時は1時を過ぎていた。あーしまった。自分の世界にのめりこんで時間を失念した。お粗末につきる。
 さて一応できあがった文。果たしてこんなので良いのか、もう少し何とかならないのかとなお半信半疑である。
[PR]

by natsuman | 2015-10-20 14:37 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

運動会 5/24

 案の定、朝から雨がぱらついた。でもこれは大丈夫と一応傘を持って城山勤番に。雨は一滴ぽつりときただけ。
d0013739_1034073.jpg
 天気は確実に下り坂。昨日各地で行われた運動会も良いときに済んだ。5年生の孫女の応援に行った。そよ吹く心地良い風の中、そっと隠し飲んだ缶ビールが効いて午後は眠くて・・・・。
 運動会はいつも一種の社会見学である。可愛らしい幼児を眺めては心を和ませ、若い奥さん方を眺めては元気で宜しいと、まずは周囲の観察につとめる。
d0013739_10403.jpg
 今どきの運動会の場所取りはすっかり様変わり。敷物を敷いて場所を確保しても、その上には大型テントが張られ、イスにテーブルが並ぶ。
 日本人の習慣であった敷物を広げては膝を折って座り込む光景もいつのまにか少数派に。敷物は陣地独占の象徴であり、折りたたみイスが座布団代わりだ。
d0013739_1041956.jpg
 老人たちも膝を折るのが難しいとばかり日本人らしからぬ年寄りがイスを広げる。周囲の木陰には背の低い簡易型テントが無造作に。ハンケチをかぶっては眠りこける姿も少なからず。まずは世の中は平和であります。
[PR]

by natsuman | 2015-05-24 10:04 | 教育学習 | Trackback | Comments(2)  

藩校の存在 5/20

d0013739_10405686.jpg
 萩という町は二つの川に挟まれた低床地にある。川を挟んで一端は松陰先生の生まれた旧松本村の山裾であり、そこからは萩市の全景が見渡される。その先方に小さな三角形の山とも小島ともみえる指月山があって一目でここが萩と分かる仕組みになっている。
 その低床地の中央に広大な土地を占めて長州藩の藩校”明倫館”があった。今その前に市役所がある。つまりは市の中心地ということ。
 明倫館というところ、何か建物がある一角と思っていたがその広大さに驚いた。今ならかなり大きめの小学校が三つくらいは取れそうである。
 残念ながらかっての藩校の建物群は大方が消えてしまった。今は旧正門と、体育館が小さく見える巨大な駐車場とその体育館、それに旧明倫館小学校の木造2階建て校舎4棟がやけに目立つ。傍らには武道場が、裏手には水練池が残っているだけ。
d0013739_10411953.jpg
 小学校は藩校時代の建物を模した素敵な校舎に代わった。その新旧校舎の間に見たところただの池のような場所がある。かっての水練場、藩士訓練用のプールである。
 現代と違うところは、これが武闘用の訓練施設ということ。泳ぐだけでなく騎馬の水中訓練に使われた。プールの一端は騎馬で進入しやすいよう、石積みでなく斜路になっていたとある。
 それにしても敷地が広い。半分くらいは多分かっての射撃場兼練兵場だろう。役所の真ん前にこんなにも広大な場所を控える市もそうはない。調べたことはないが。
d0013739_1041463.jpg
 明倫館は当時の萩藩最高の教育の場である。が何事も藩是を旨とする場である。幕府に対抗する思想はことごとく危険視された。
 一方、世界に目を向け、あるいは日本という国家意識に目覚めた草莽崛起の青年らは押し寄せる外威に対し攘夷を叫び幕府を糾弾する。松下村塾に集い志を談じ激論を交え、その意志を確固たるものにしてゆく。明倫館で育ってきた藩士たちは俗論に過ぎると真っ向から衝突するようにもなる。それが維新への活力だった。
 まあいい。教育組織があったからこその今知る歴史展開である。立派なものだ。
[PR]

by natsuman | 2015-05-20 10:49 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)