カテゴリ:射撃砲術( 162 )

 

画像ファイルを頂戴する

昔、男の子なら皆鉄砲好きだった。
オモチャから始まって空気銃に。やがて本物へと移る。
とはいえ武器としてではない。趣味の道具としてだ。
昭和30年代はじめまでデパートの5,6階には鉄砲売り場があった。
本物を売っていた。もちろん日本のことだから猟銃・空気銃に限る。
戦前は民間人でもピストルが持てたが、さすがに戦後はそれはない。
大学卒業の初任給が1万数千円の頃、猟銃一丁5,6万円からした。
手が届く可能性は全くなかったが学校帰りに良く売り場を訪れ眺めていた。
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千葉に職を得た年、その冬、狩猟免許を取った。友人から一丁譲り受けたのだ。
以来54年も銃を所持し、狩猟に射撃にと楽しんできた。
釣りはフナ釣りに始まってフナ釣りに終わると云う。
それに同じで最初は単発銃から始まった。最後は火縄銃に終わりそう。
それも既に20数年、経験を重ねた。一発放つのに手間が掛かる仕組みが面白い。
今の若者は何かと球数の沢山でる銃に興味を持つ。
だがそんなものは多量生産方式で作られた工場製のただの仕掛け。
工芸的な要素を欠いて面白みがない。また手間暇をかける楽しみもない。
はじめは城まつり。後に南総里見まつりと改称。その鉄砲隊に参加してきた。
何年経験したか。良く覚えていない。記録に残そうと写真は撮り続けた。
デジカメが世に出てきた頃からで、画像ファイルがどれだけあるか。

とはいえ参加していては自分の写真は撮れない。
それだけに知人友人・お仲間等が撮ってくれるのは嬉しい。
自分が写っているのは第三者が頼みになる。
後で画像ファイルで頂けるのが一番。画像加工ができるから。
それに比べてプリントはちょっと残念。まして良く撮れていたりしたら尚更に。
今日はそんな頂き物を紹介しよう。二枚とも頂戴もの。
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ラジオ体操仲間でご近所でもある。ありがとう。

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by natsuman | 2017-10-24 09:49 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

火縄銃の小道具

d0013739_14422361.jpg日本の火縄銃はユニークである。
利便性を求めて色々な小道具を産んだ。
火縄銃は極めて原始的な銃だ。
もちろん薬莢が発明される前の産物である。
だから火縄銃には装弾というものがない。
装弾とは火薬と弾頭と雷管を薬莢に組んだものだが、それがない。
火薬も弾丸も直接銃身の中に装填した。

銃砲は筒内で火薬を燃焼させ、瞬時に発生するガスの力を利用する装置だ。
爆発という意味では内燃機関と同じである。
ガソリンエンジンは圧縮した燃料と空気の混合物にプラグで点火する。
では火縄銃は筒の中の火薬にどうやって点火するか。
答えは銃身の基部に小さな穴を開けるだった。

外側に火皿を設け、予め少量の点火薬を盛っておく。
そこに火縄の火を押しつければ点火薬が燃えて中の本薬に点火できる。
いい例が海賊船の大砲。カラクリがない。差し火式という。
大砲の基部上方に穿った小穴に点火薬を詰めておく。
それに何かの火を押しつければ瞬時に内部に点火、発砲となる。
そこに引き金装置、則ちカラクリを工夫したものが火縄銃。
一発撃つのに手間が掛かる。色々と小道具が生まれた。
その代表が点火薬を入れる小型容器。
点火薬を口火薬とか口薬と呼ぶので口薬入れと云う。
火皿に口薬を盛るための道具である。

これが実に上手く出来ている。
画像は筆者の口薬入れの一つ。丸い実のようなものの下に黒い蓋がある。
火皿に点火薬を盛った後、手を放せば自動的に蓋が閉まるという仕組み。
口薬は着火性に富むから、使用後は直ぐさま蓋をした方が良い。
日本独特である。形や材質も様々で美術工芸品でもある。
これを如何に手早く使いこなすかは炮術演武の見せ場か。
明日はその口薬の調整を行おう。
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by natsuman | 2017-10-19 09:51 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

薬盒の用意

雨が四日も続いた。もちろんその間、ラジオ体操はお休み。
運動不足が効いて身体の各部が不調を訴える。
聞けばその間、数奇者は雨を厭わず登ったらしい。
酔狂なことである。

この週末、土曜日だが、恒例の南総里見まつりがある。
今や無くてはならない存在とおだてられて鉄砲隊の頭を務めている。
昨日はその準備をした。火縄銃に用いる火薬の用意である。
正規に火薬の譲り受け許可を取り、また当日の消費許可も得ている。
当日は、開会式、演武披露、戦闘劇中、最後の祝砲と計6発を放つ。
それ用に1発分づつ計量し6本の薬盒に収める。
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火縄銃は元来手作り品。口径がまちまちだから、薬盒もそれに合わせて手作り。
演武中は手早く確実にかつ安全に使えなければならない。
もちろんそれなりに工夫が要る。

しかし左膝のお皿の下が痛む。膝を曲げるのが辛い。
演武は短時間に終わるから何とかなる。が武者行列は歩かねばならない。
もちろん身は鉄砲隊。シンボルの鉄砲を置いていくわけにはいかない。
その鉄砲が7.5kgもある。
”そりゃ鉄アレイを担いでるようなものじゃないですか”とは整形の先生。
それが悩み。
もとより少しでも軽くしたい。が軽いものは口径が小さい。
そうなると火薬量は少なく発砲音も小さい。白煙も細る。
見る側の心理としては花火と同じ。音が大きいほどうける。
何しろ空砲演武は”轟音と白煙のスペクタクル”という世界。
それが小さくては。
それを思うとそう簡単に軽いのにしておこうとは決めにくい。
というわけで当日どっちにするか選べばいいと二通り用意した。
はてさてどどちらを選ぶべきか。ここが思案のしどころ。
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by natsuman | 2017-10-18 11:07 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

少しは気が晴れた

夏の暑い間に一度行ったきり。
忘れそうな思いを起こしに一ヶ月ぶりでクレー射撃に。
スコアは散々だった。左の出る皿が丸っきり割れない。
肩付けがおかしいのか。腰が廻っていないのか。
はたまたスイングが止まっているのか。
もしかしたら先を打ち過ぎてるのではと疑心暗鬼。
一緒に撃った若いお嬢さんのスコアにも届かない。
彼女、まだ若い。父親の銃を譲り受けたという。
イタリア製の銘銃ブレーザー。
高級銃の香りも高くやや華奢だが好い造り。
まだその良さを分かっていないようだが。
若い人は何事も右上がりで進む。
片や老人は右に下がる一方。
スコアなんて気にしてもしょうがない。
それでも久方ぶりの射撃で気持ちはすっきりした。
そんなせいか、写真を撮りわすれた。
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by natsuman | 2017-09-26 08:37 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

火縄銃射撃・秋の大会

先週の日曜日、第20回目の火縄銃射撃安齊杯大会があった。
参加選手にはご婦人も居られる。夫婦で参加だ。
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安齊杯は、かって早稲田の射撃部にいて安斎實氏の功績を讃えて行われる。
火縄銃射撃の秋の大会だ。
もし二番手の射手に目が行ったらさすが。
火縄銃つまり日本の鉄砲は基本的に頬付け鉄砲である。
ところがこれは管打ちの肩付け。
そういうものもあるとしておこう。

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安齊氏は日本ライフル射撃協会の会長として多大な貢献をした。
旁ら日本伝統の火縄銃文化と射撃の研究を起こした方でもある。
その火縄銃や古式の炮術に関する書籍は名著として名高い。
今では手に入れにくく、古書オークションで探すしかない。
明治以降、西洋式砲術の導入に伴って江戸の古式炮術は瞬く間に消えてしまった。
その高い文化性に着目して氏は昭和の初めに中興する。
今や古式炮術に関する現代の元祖である。


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by natsuman | 2017-09-14 09:37 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

鉄砲の話

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画像は先日倉吉に持ち込んだ砲術演武用の道具だ。
鉄砲と太刀、鎧通しに袋。二人分ある。
刃物類は本歌を持ち歩くと銃刀法違反になる恐れがある。
したがってこれは模造刀。しかし鉄砲は本物だ。
150か200年前、江戸時代に手作りされた火縄銃である。
上は関流洋式の高級品。数が少ないから軽の新車1台分位はする。
下はボクので仙台筒のまあ中級品。これはその半値。
演武に使う火薬は種類も量も同じ。だから音は同じだし、
しかもカラクリが確りしていて発砲が確実。
安全確保には必須要件である。
これら日本の鉄砲を代表する火縄銃は、刀と違って新作が出来ない。
すべて骨董屋さん扱いの古物である。
鉄砲の基本構造は一端をネジ止めした、少々身の厚い鉄管に過ぎない。
今の技術で造るのは簡単だが日本は法律で禁止している。
つまり火縄銃は本物しかない。在るのは全て昔の人の手作りである。
銃身は刀作りの技術を活かして鉄砲鍛冶が火作りする。
内部の仕掛けや飾りはカラクリ職人が、台は台師が分業で作り、組み立てる。
日本のシステム工業の始まりである。
後に鉄砲鍛冶は自転車や人力車を作りオートバイ製作にまで発展する。
したがって先祖は鉄砲鍛冶だったという工業会社は結構沢山ある。
鉄砲製作は日本の工業技術の要なのだ。
第一日本のネジは鉄砲から始まった。
ネジは工業技術の要諦なりと云うくらいである。

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by natsuman | 2017-09-13 16:18 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

砂漠の天候

昨日の画像で見る限り、倉吉は良い天気だったと思われるだろう。
確かに行列が出発した後は暑い日差しとなった。
いざ休憩となれば武者連中は皆さん日陰へ逃げ込ほどに。
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前の晩、暑いと部屋の窓を開け放った。
ところが就寝近くにはぐんぐん冷え込む。
窓を閉めたものの朝方はさらに冷え込んだ。
目覚めれば誰もが羽毛布団にしっかりとくるまっていたのが可笑しい。
宿は山の上。眼下に谷を越して丘陵が連なってるのが見える。
さして高くないその山々に雲がたなびき、風景は暗雲たれこめている。
朝食後、甲冑衣装に着替える折、雨音に外を見れば何と激しい驟雨。
イヤー参ったな。この天候で行事が出来るのかと不安がみなぎる。
幸い雨は長く続かず、水たまりを越えて迎えのバスに乗った。



法要会場の大岳院に着く頃は急激に天候回復。青空が見えてきた。
それでいて時折、霧雨がお印のようにやってくる。
鉄砲を濡らすまい火薬を湿らせないようにと庫裏の軒下に逃げ込む。
だがこの時の鉄砲隊の行動はあまり面白くない。
待機位置がしっかり決まってないから皆うろうろ。脚本やスタッフに改良の余地ありか。
しかも本堂前庭の端で駐車場への通り道になる。
お客様から離れているし、忠義公の墓に尻を向けてでは妙な感覚だ。
隅に追いやられた感がある。どうも雰囲気に乏しい。
ま今さら仕方あるまいと発砲を開始。ところがなぜか一発目から何とも音が小さい。
火薬量はいつもと変わらないのに轟音と云うにはほど遠い。
一瞬、あれこんな筈ではと皆思ったらしい。後の回想だが。

一般の方は生の発砲音など殆ど聞いたことがない。
だから第一発目で驚きビックリ桃の木になるはずだった。
ワーッと歓声が上がるはずだったが、それも良く聞こえない。いささか拍子抜け。
やがて武者行列が出発。
何のことはない鉄砲隊はただのスターター役だった。

武者は殆どが手作り甲冑を身につけている。
館山や松戸から会の人も駆けつけ参加した。
近頃の手作り甲冑はますます彩りを増してきらびやか。
その最後列、しんがりを陣羽織姿で務めた。
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但し、鉄砲隊は手ぶら。
鉄砲隊のシンボルは”火縄銃”なのに。肝心の鉄砲様は車で先回り。
警察は杓子定規に鉄砲は袋に入れて携行しろとしたらしい。
肩に担ぐ火縄銃がなければ鉄砲隊にならない。
それを袋に入れろでは興味津々の観衆の期待を裏切る。
もちろんそれでは携行する意義を欠く。しかも一丁7kgもある。では運んで下さいと。
お陰で鉄砲隊は、ただのしまりのない鎧武者となった。
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 終わって感想。
この地は日夜寒暖の差が激しく、昼は暑く夜は冷え込む。
まるで砂漠みたい! そういえば、砂漠がありましたな!




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by natsuman | 2017-09-07 09:58 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

倉吉から戻る

一昨日遅く倉吉から戻りました。昨日はいつものように事後の片付けでてんてこ舞い。
託送した荷物を解き、汗ばんだ衣装類を洗濯部に廻し、洗えないものは陰干しに。
鉄砲の清掃は欠かせない。火薬には炭が入っている。
その残渣物と拭浄用の油でいつも手は真っ黒。まこと厄介だ。
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倉吉は鳥取県の主要都市の一つ。少し内陸部にあるが昔から交通の要衝である。
館山と同様、ここにも戦国時代の城があった。打吹山という。
その裾野に市役所が、旁らには日本の公園第一号の打吹公園がある。歴史的な地域だ。

安房国の殿様、里見氏十代の忠義は、幕府内の勢力争いのとばっちりを受け、ある日突然に改易処分を受ける。
改易は蟄居より重く切腹より軽い罪科のことだ。
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藩主と云えども罪人となれば取り締まりや監視はきつく生活はままならなかったらしい。
だが倉吉の農民や町民や僧侶らの助けを得て、士従共に倉吉を転々として生き延びる。
晩年は殿様自らクワをふるって必死に喰いつなぐ。懸命に生きたものの関金堀の屋敷で憤死する。
殆ど栄養失調ではなかったかと推察する。まことに悲劇。
房総の雄・里見氏はここに終焉して歴史から消える。
忠義の骨は後に密かに蛸壺に隠して房州へ持ち帰ったと伝えられる。
やがて数百年が経過。馬琴が長い里見氏の歴史を参考に小説「南総里見八犬伝」を出版する。
士従は八賢士となり、いつしか八犬士となって空想の世界を広げた。
館山市の祭りが八犬伝仕立てであるように、倉吉の祭りもまた同じ八犬伝仕立てである。
手作り甲冑で身を飾った面々が賑やかに古い町並を練り歩く。
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忠義の墓がある大岳院で法要の後、境内の端っこから武者行列がスタートする。
その合図を兼ねて発砲。境内に轟音が轟いた。
と書きたいところだが実状は庭の隅から駐車場に向かっての発砲。
それでも倉吉市民にとっては初の轟音と白煙のスペクタクルであった。
翌朝の地元新聞に大きく紹介される。
無事終わって肩の荷が下りた。
因みに発砲の際の画像は撮れない。本人が撃ってますからね。
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by natsuman | 2017-09-06 09:39 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

衣装道具を送った

d0013739_09162532.jpg倉吉行きが迫ってきた。
昨日、少し早めだったが、衣装や道具類を送った。
鎧衣装一式は小型のスーツケースに収まる。
が空砲演武に使う道具は長ものがあって特殊なトランクが必要だ。
長くてしかも重い。宅急便サイズの最大級になる。
スーツケースとトランクの両方を持って7/11に出向く。重いのに閉口する。
考えてみれば衣装は身につけ、道具類は携帯する。
当然重さをみなこの老体が支えなければならない。
そう思ったら余計気が重くなった。
二個口で計3300円弱。送料もバカにならない。
衣装や小道具は向こうで用意してくれるとありがたいんだがなあ!
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by natsuman | 2017-08-31 09:19 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

倉吉せきがね里見まつり

「里見安房守忠義公は、幕府内の権力闘争に巻き込まれ、安房国(現在の千葉県南部)から伯耆国倉吉への国替えを命ぜられ、里見家再興を願いながら、堀村(現在の倉吉市関金町堀)で29歳という若さで亡くなりました。領民から慕われた忠義公と、忠義公を追って殉死した「八賢士」と呼ばれる8人の忠臣の物語は、曲亭馬琴が書いた長編小説「南総里見八犬伝」のモデルになったと言われています。忠義公が最期の時を過ごした倉吉では、忠義公と八賢士を偲び、様々な催しが開催されます。」
と毎年9月はじめに鳥取県倉吉市で行われる行事がwebで紹介されている。
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我が家はその里見十代目の忠義公の居城、館山城の城郭内にある。
城郭と云っても中世の城。石垣はない。
代わりに切り岸と称して人工的に崖を造り防御施設にしている。
その城域中に我が家はある。

里見氏十代忠義の時、突如、幕府の命により館山城は破却され、
藩主は倉吉に改易となる。
里見氏の悲劇の始まりである。
かくして里見の物語は当地館山と倉吉の二ヶ所に。
それを縁に両市は交流が続いている。
行事はどちらも南総里見八犬伝仕立てに構成されている。
里見氏の正史と小説とが一緒になって混乱の元になってるのは嘆かわしい。
が面白可笑しくイベントを盛り上げるには恰好の材だ。

館山市が南総里見まつりと称して大々的な行事を始めてから今年36回目。
そこで火縄銃による空砲演武を受け持っている。
それを倉吉でも是非演じて欲しいとの要請があった。
それに応えて週末に遠征。今週日曜日に倉吉市民に披露する。
今その準備中だが、気になるのは身体の調子。今ひとつなのである。
もとより当にお歳である。そろそろ引退をと考えていただけにちょっと荷が重い。
とはいえ折角の期待に応えないわけにはいかない。
ともかく道筋だけは付けておこうと老体にむち打っている。

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by natsuman | 2017-08-28 09:33 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(1)