カテゴリ:美酒佳肴( 71 )

 

手焼き煎餅

 関宿は千葉県の最北端にある。そこに江戸川と利根川がある。かって東京湾に流れていた利根川はここで銚子へと付け変えられた。とうとうと流れる川向こうは埼玉県と茨城県。関宿藩が治めてきた水運の町だった。
 70数年前、終戦への道を開いた時の首相、鈴木貫太郎の出身地でもある。今その邸が残り記念館がある。
d0013739_10384066.jpg しかし関宿というとボクの脳裏には喜八堂の名が浮かんでくる。煎餅(せんべい)屋である。元は上野か神田辺りで営業していた江戸時代以来の古い店だと聞く。それがいつの時か関宿へ移ったという。
 通りに面して歴史を感じさせそうな佇いだが、裏手には工場があるようだ。店先で手焼きをしている。火に炙られて真っ赤な顔で焼いている。もちろん辺りには醤油の焦げたいい香りが漂っている。
d0013739_10385273.jpg 店に入ると広い三和土(たたき)の土間が広がり、昔風の縁台が置かれ、旁らにチンチンと湯が沸いている。
 廻りには商品・名物の煎餅が各種並んでいる。それぞれ試食が出来る。それをああだこうだと云いながら頂戴し、美味しいお茶と草団子を賞味する。
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 関宿へ来れば必ずここによる。しばい憩いの恰好の場所だ。居心地がいい。だから帰り際にはついつい沢山買ってしまう。
 なお、ここの一番の商品は醤油味が濃く、美味しいがかなり塩っぱい。お茶なくしては進まないかも。

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by natsuman | 2017-04-16 16:43 | 美酒佳肴 | Trackback | Comments(0)  

飲んべえに嬉しい雪国のぽん酒館

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三日目は晴れ間が出た。青空がまぶしい。
宿の裏は雪崩止めがびっしり。
空恐ろしい感じでもある。
丘陵地帯を貫くほくほく線はJRではない。
まるで地下鉄だ。130km/h以上で疾駆する。
一時は160km/hで運転していたそうな。
在来線では一番の高速線である。
十日町から魚沼丘陵をトンネルで抜けて六日町に。
越後湯沢へと魚沼盆地を走る。
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湯沢の駅の”がんき通り”では相変わらず酔っ払い人形が迎えてくれる。
ぽん酒館だ。
越後の酒がずらりと飲んべえを誘い込む。
500円で確か3杯試飲出来るはず。
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by natsuman | 2017-03-12 09:31 | 美酒佳肴 | Trackback | Comments(0)  

飲みやすい?

d0013739_10323335.jpg ワインを薦められて、どうをなどと問われると、つい「飲みやすいね」などと云いがち。とくに女性はそうだ。だがこれでは美味いかまずいか、要は好ましいかどうかが分からない。
 相手はどうだ美味しいかと聞いている。舌の五味五感をフルに活用して、甘い辛い塩っぱい酸っぱい苦い渋い、何が多い何が少ない、濃いとか薄いとか、あるいは〇〇のような味とか香りとか、ウンこれは〇〇で好ましいとの答えを期待している。つまりは賛同の表現をして欲しいのだ。
 もっともそれが身につけばソムリエ。つまり事ほど酒の評価は難しいということではある。
 ともあれ肝心なのは美味いかどうか。それを「飲みやすい」では違和感が先に立つ。もっともビールでは喉ごしが売り向上になるから、総合的には飲みやすさも評価の範疇には入る。が良薬口に苦しの薬ではない。嗜好の飲み物にそんな言い方があるはずも無い。
 近頃そう言わせて良しとする番組が目につく。出演者は試されてるとは知らず、つい「飲みやすい」としたり顔で云いがち。しかもそれで悦に入っている。当人は!
 本当は経験不足で、もちろん記憶がないから、適当な言葉が見つからなかった、と想像する。さらに裏を返せば「良く分からなかった」が本音だろう。そう思うと、そうしか云えなかった出演者が気の毒にも見え、そんな人選をした企画が間違っているということにもなる。
 なお類似語に「食べやすい」という言い方がある。これは意味に巾がある。もし「飲み込やすい」という意味で、しかも頻繁に使うことがあるとすれば、きっとご高齢の方だろう。


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by natsuman | 2017-02-10 10:29 | 美酒佳肴 | Trackback | Comments(0)  

美味いなあ 6/10

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 美味佳肴とは大げさだが、出来損ないでも美味いものがある。
 我が家で採れたジャガイモ。男爵である。それにしてはあまりに小さい。画像のはこれでも比較的大きめの方。
 連作障害が出た。掘るのが早すぎた。理由は色々ある。食前に上がったのはとにかく小さい。
 甘辛く煮て食べるのも良し。マッシュしてサラダにするも良しだが、一番美味しい食べ方はただ蒸かして塩を振りバターで頂くのが好きだ。
 戦後、一番ものがなかった時代。東京にいたら庭の草を食べる羽目になったかもしれず、その点、戦後初の新制小学校一年生になったボクの家族が、父の転勤で家族一同札幌へ引っ越したのは幸いだった。
 当時、北海道は米は殆どとれなかった。生産量は微々たるものでとても賄えない。みな内地から連絡船で運び込まなければならず米は貴重品だった。デパートには交換のコーナーがあり米が貨幣代わりだった。
 住んでいた家の通りの向こうの、そのまた向こうの通りに米屋があった。米があればの米屋だが実態は違った。周囲にうずたかく積んであったのはジャガイモの俵、俵、俵・・・・・。怒られないのを良いことにそこを遊び場にしていた。
 もちろん配給制の時代。だが米が配給になったかどうかは覚えていない。子供の心配することでもないし。
 どこの家でもジャガイモが主食。次にカボチャが。魚は身欠きニシンか底引きで獲っ多種多様なカレイ類。美味しいものばかりではなかった。北海道のカレイ類は23種類位もあったと後で知る。
 それでも東京の食糧事情を思えば食べることに不自由はなかった。
 それでも例えばお隣の家族がカボチャの食べ過ぎで子供達がみな黄色い顔をしていた。そんな時代だった。
 そんな時代に育った世代はイモやカボチャと聞くと途端に嫌な顔をするものだ。食い物は何ものにも優先して量が問題になり、質や美味しさは二の次だった。
 水っぽいカボチャや大きいばかりでまずいサツマイモばかりを食べていれば、そうなるのも当然。
 だが北海道のジャガイモは美味しかった。カボチャだっていわゆるクリカボチャである。ほくほくしていた。トウキビも美味しかった。
 それにさすが北海道。乳製品が容易に手に入った。チーズは食習慣がなかったから見たことも殆どなかったがバターは豊富にあった。
 新ジャガの季節になるとそれを懐かしみつつほくほくの男爵を頂く。つい食べ過ぎて後で胸焼けがしたりして・・・・・。
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by natsuman | 2016-06-10 09:24 | 美味佳肴 | Trackback | Comments(0)  

パック入りワインの効用 4/14

 スーパーの進出で小売店が消え始めてかなり久しい。町の中心だった商店街も今や完全にシャッター通り。田舎もすっかりスーパーに毒されている。
 酒はかって酒屋で購入していた。今は専らスーパー依存。それが酒屋をつぶしたのだが。
 家内とスーパーに行くと亭主は専ら酒のコーナーに足が止まる。次はこれにしようと種類と銘柄を決め、後で家内にその旨申し渡しておく。ポイントが十倍の時に買うからだ。
d0013739_11673.jpg 先日、3リッターのパック入りワインを指示した。チリ産のシャルドネとある。値段もバカ安。これなら日用としては大歓迎。紙箱入りで中はプラスティックの袋入り。コックが付いている。
 どうせ大したことはないと高をくくっていたもののまあ飲める。当たり外れの多い瓶買いよりは確実性があるかもしれない。
 ワインは一度開けたら飲みきるのが原則。残すと空気に触れて酸化する。その点、これは袋内に空気が残らない。飲み残しても酸化の心配をしなくていい。とはいえ栓を抜く儀式とワインへの期待感は確実に機会が減るのが難点だが。
 なお、如何にワイン好きのフランス人とて日常的に高級ワインを飲んでるわけではない。普段は相応のものを味わってこそ、特段の機会にはしかるべき美味しさが楽しめるというもの。以上、貧乏人の弁解である。
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by natsuman | 2016-04-14 11:07 | 美味佳肴 | Trackback | Comments(0)  

葡萄の地ざけ 4/8

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 家内のクラスメイトが山梨市へ嫁に行っている。旦那は果樹園を経営。もちろん葡萄郷の山梨市だから葡萄園。毎年そこから地酒が届く。定期的に注文しては送ってもらっている。
 今年もそれが届いた。箱には”地ざけ”とある。彼の地の人々は酒を酌み交わすとなるとこれ。原料は米ではない。それを”地ざけ”と自認している。それを茶碗酒でやる。正に酒である。
 ラベルは”一花園”とある。原料は全て自家製。それを提携ワイン工場で加工してもらう。
 箱には”ふるさとのワイン”とある。世間ではワインと呼ぶが、地元の旦那衆はこれを”ぶどう酒”と呼ぶ。ワインなんぞとは云わない。第一一升瓶入りなんてのもある。各葡萄園ごとに沢山の”ぶどうの酒”がある。
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 お味は正に地酒。杜氏が腕をまくって作り上げた特別な日本酒のような高級品ではない。お味の方もそこそこ。値段は手頃。それでいてすっきり。スーパーで買った下手な安物ワインよりはずっといい。正に”地ざけ”と呼ぶのがぴったりくる。
 日本酒の好みは地酒である。旅すればその地の一番一般的な酒を頂く。それと同じ。ワインだってそれで良いのだ。
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by natsuman | 2016-04-08 09:13 | 美味佳肴 | Trackback | Comments(0)  

これも美味佳肴 1/16

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 このところ酒はウイスキーがいい。シングルモルトが好みでニッカの余市を愛飲してた。ところがいつのまにか店頭から消えた。新たに出たものはぐんとお値段が高い。
 どうせチビチビとした飲み方だ。少々高くたってワインに比べればそう高くつくわけではない。でも普段飲み用はとついお安いので我慢してしまう。生来の貧乏性だ。
 ワインは大体亭主が探してくる。その他の酒類は家内が買ってくる。日頃、こんなものをと言っておけばいい。何せ今はポイント時代。女は5倍だ10倍だという日でないと買わないのだ。
 ウイスキーはショットグラスで、時に倍に水で薄めていただく。氷は使わない。
 洋酒につまみは本来要らない。だがボクはこの素豆を煎ったものを添える。これがことのほかウイスキーに合う。
 つまみに名産、名物、あるいは名店の肩書きは要らない。まして加工食品の殆どは余計な添加物がたっぷり入っている。しかも味が濃すぎる。それに比べて素豆は実に素朴だ。
 その素朴さがとてもいい。それに豆は健康食品。アジア起源の産物でもある。日本人の食性の多くは味噌醤油といった豆製品が支えてもいる。健康のために一日に最低5粒は豆を摂れとある人は熱く語る。既に節分を迎えて店頭には鬼打ち豆としてどっと出ている。
 死んだ親父もそうだった。ニッカと豆はその血を引いている。ただ、この豆を摘まみながらウイスキーという飲み方、傍から見れば何やら貧乏じみてあまり感心しない。でも本人は至福の一時なのである。親父は専ら塩豆だった。
 
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by natsuman | 2016-01-16 11:45 | 美味佳肴 | Trackback | Comments(0)  

ユニセフとの関わり 10/2

 ユニセフという国際組織、黒柳徹子さんが活躍している。
 ボクとの関係は学校給食から始まった。戦後のことだから今から67,8年前ということになる。
 戦後数年、日本は食糧難で困窮した。飽食の今日では信じがたいが、食べるものがろくになかった。餓死者も出た。
 空襲で焼け落ちたがれきの隅に残骸を組んで作った粗末なバラック。とりあえず住むところを確保しでも食料確保はどうにもならなかった。
 急激なインフレ。金の価値は下落する。なけなしの家財や着物と交換にわずかな食料を手にいれるのがやっと。腹一杯の暮らしにはほど遠く、子供たちはいつも腹を空かしていた。心配は子供たちの栄養不良だった。
d0013739_9274485.jpg それを救ったのがアメリカのララ物資。またユニセフによる給食の開始だった。ララ物資はトウモロコシが主体の、殆ど家畜の飼料と云えるような代物。それでもありがたい食料救援だった。あれで一時の飢えを凌いだと記憶にある。
 ユニセフによる支援は昭和23,4年に始まった学校給食で発揮される。バケツから柄杓で注ぐ脱脂粉乳が中心だった。脱脂粉乳を湯で溶いて牛乳状にしたミルクは、栄養があるとは云え処理が悪くていつもダマになっていて飲みづらいし、ましてや乳製品に慣れない子供たちは、それがいやで登校拒否にもなった。ボクも記憶がある。学校給食とはまずいの代名詞だった。
 現在のとはまるっきり違う。美味しいまずいは関係なし。とにかく栄養になればという代物。餌といえるようなものだった。美味しい現在の学校給食とは天と地ほどの開きがある。
 がそれで助かった子供たちがどれほどいたか。今75歳前後の年齢層が一番恩恵を受けたはず。
 そういう思いがある。だからユニセフには今も感謝を込めて時折寄付をしている。大した額ではない。微々たるものだが、それが当時支援を受けたせめてもの思いである。
 寄付者名簿にしっかり記録されたか案内がしょっちゅう来るのが少々煩わしい。最近は引き継ぐ相手のない遺産を寄付するようにと広告が出ている。
 遺産と称するものは殆どないし、それは出来ない相談で・・・・・。
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by natsuman | 2015-10-02 09:28 | 美味佳肴 | Trackback | Comments(1)  

塩味もほど良く願います 8/31

 館山湾に突き出た岬にホテルがある。この辺では一番大きい。湾を見下ろしていかにも館山市然としているが市内ではない。
 何せ我がマチは周囲をぐるりとお隣の南房総市に取り囲まれ、いつかは一緒になりたいと迫られている。だが我がマチの館山という歴史的名称を捨てるわけにはいかない。こちらへ取り込むなら話は別だが。
d0013739_16182334.jpg 横道にそれた。
 そのホテルへランチに出かけた。ただしかみさんのお誘いだから渋々である。
 その理由。世間一般の方の評判は宜しくとも如何せんボクの口に合わない。どうみても美味しいとは云いにくいのだ。いつも”料理が寝ぼけている”がボクの口評。いつもそう感じる。
 和食のように出汁がしっかりしているわけではなし。そこへ持ってきて何れも控えめの塩味である。どれもこれも味があるような無いような料理固有の特徴がない。つい目が塩の小瓶を追ってしまう。
 自分では特別に塩辛いものが好みとは思っていない。だがごま塩とご飯があればというタイプである。塩辛を始め塩味のものに目がない。一方甘いものも嫌いではないが、ご飯味噌汁総菜、みな甘い味付けは勘弁願う。
 亡くなった義母の料理に甘い味付けの赤飯があった。これにはまいった。
 美味いは甘いから転化した言葉とは云え、甘ければ美味しいというほど単純なつもりはない。五味の何れもほどほどに味付けてあってこそ料理というもの。それが一方に偏していては板前やシェフの味に対する感覚を疑ってしまう。
 世の中塩分取り過ぎを警戒して薄味が幅をきかしている。だが何かにつけ甘味料を加えて甘くした味付けも大手を振っている。甘味は濃く塩味は控えめではどうにもならない。味のバランスを欠く。 ところが塩分控えめ主義はそればかりが先行してそのバランスを欠くものが多い。それではいかに凝った料理でもみな画竜点睛を欠くだ。つまり味の芯がない。寝ぼけてしまうのだ。
 昔、去る温泉宿で、これまたものすごい寝ぼけ料理に出会ったことがある。今でも我が家の語りぐさだ。あまりにも塩っ気のなさにたまげて、翌日フロントで「従業員の皆さんはこちらの料理を食べことがありますか。こんな不抜けた味付けではあっという間にお客さんが来なくなりますよ。すぐに板前さんを変えなさい」と苦情を入れようと思った。
 だがさすがにそこまでは言いにくかい。ぐっと飲み込んで憮然として引き上げたが、案の定、経営不振に陥ったようだった。何とかまた来てくれと懇願めいた案内を何度も送ってきたが、もちろん一度で懲りたから二度目は未だ実現せず。上品な宿だったのだが。
 さて、心ならずもランチは相変わらず寝ぼけた味だった。美味しかったとはとうとう口から出なかった。何度も来ている方があるようだが。
 ただ注文したシャルドネが値段の割には意外に宜しかったのが救いだった。それだけ。 
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by natsuman | 2015-09-01 09:31 | 美味佳肴 | Trackback | Comments(0)  

専門店があるほどバナナ好きか 7/22

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 前回のわくわく広場にこんなものがあった。バナナがあるのは珍しくないが、そこにわざわざこんな看板が。
 実はテレビで報道されたこともある。我がマチには専門のバナナ屋があるのだ。扱う品はバナナだけ。一種の問屋でもある。大きなムロを持っていてそこで熟成させて小売店に並ぶ。
 昔はもう一軒あったように思うが定かでない。住民はこのわずか4万人にも満たない小さな町にそんなバナナ専門店があると云うことの不思議さをあまり感じない。でも全国的にはかなり珍しいらしい。
 市内及び周辺の果物屋、八百屋にはみなそこから廻っていく。スーパーにも。でも専門店があるほど我がマチの住民はバナナが好きなのだろうか。そこの所は分からない。
 毎日昼時に一本食べる。味は熟成の度合いもさることながら産地により種類によりはずいぶんと違う。少し青いくらいの方が美味しい。
 おおそうだ、果物屋も八百屋ももう死語に近いなあ。まだ残って頑張ってるところもあるが直ぐにはちょっと思い出せない。
 それにしても画像のパネルの書体、もう少し何とかならないか。何とも見づらい。市内の人はみな知ってるから読む必要もないか。
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by natsuman | 2015-07-22 06:19 | 美味佳肴 | Trackback | Comments(0)