カテゴリ:自然環境( 234 )

 

東京湾最後の自然海岸

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昨日の夕刊に、不思議な鳥の目のような地形があると写真が載っていた。
奇しくも昨日のこのブログに載せた画像の左端にそれが見えている。
木更津飛行場のやや北側に当たる。
航空機の羽田空港への進入コースは丁度この上を通るからよく見える。
地元ではバンズの鼻と云われる場所。バンズとは磐洲の意。
小櫃川からの土砂が永年の間に沈積して出来上がった低床地。
工業用水確保のための淡水化実験地だった鳥の目もよく見える。
今では東京湾で一番自然が残っている場所かも知れない。野鳥の天国だ。
その昔、東京湾の千葉県側は皆こんな様子だった。

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by natsuman | 2017-04-29 10:31 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

目が食べたかった

d0013739_13262874.jpgアメリカからの面白い話し。
生物は、暮らしやすい水中環境からなぜ抜けだして陸へ上がったのか。その新説である。
調べてみると、そういった生物は、どれもみな目がそれまでより3倍も大きくなっていたという。
つまり目が良くなったことで食欲をそそる餌が沢山目に入り、それで陸へ進出したのではないかと。
たったそれだけのこと。だがこれまでの生物学の常識を大きく変えるかも知れない。
ムツゴロウ君はまだこれからだね。ええ、一生懸命這い上がっていますよ!


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by natsuman | 2017-03-25 15:47 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

風景をぶちこわす電工会社

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日没後の空の何と美しいこと。
夕焼けもきれいだが、青空の闇へ向かうひとときの色合いが心を打つ。
富士がくっきり見える。
だがこの電柱の何と不細工なことか。
この景色が気に入って家を建てたのに、
電工会社があっという間に押っ立てた。
電線埋設工事は地方から進めるべし。

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by natsuman | 2017-01-31 10:01 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

楽しみは雪景色

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by natsuman | 2017-01-26 11:08 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

豪雪下の暮らし

野沢は北信にある。豪雪地帯だ。
屋根の雪は1m50を越えて2m近くある。
積もれば積もるほど圧雪されるから、
その量たるや半端でない。
家がつぶれるというのも頷ける。
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路面は打って変わって乾いているように見える。
下に温水が流れている。降っても直ぐに溶けていく。
だがシャーベット状態。長靴が欠かせない。
ゆめゆめスニーカーでなんてことのないように。
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街中あちこちで雪下ろしをしている。
まだ降っている。どんどん積もる。
仲間総出で取りかかるしかない。
数えてみたら25人近くが奮闘している。
でも翌朝見たらまたもや真っ白に。
雪との格闘が続く。
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by natsuman | 2017-01-26 11:03 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

武蔵野・房総、在りし日の面影

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千葉在住のパステル画家、静遙さんの絵画展が富浦のびわ倶楽部であった。
今年はもう終わったが、毎年暮れから正月、恒例になっている。これまで何年になるか。
この人の自然観には常々感じるものがある。相通ずると云っても良い。
作品は実際に画家が歩いては、今これを残さなければと思いを込めて描いた郷愁あふれるシーンばかり。
そこには在りし日の風景が懐かしげに切り取られている。
始まりは都内からやがて武蔵野に移り、奥多摩から埼玉まで足を延ばしたものの、
昔風の田園風景は高度成長と共にどんどん消えていく。
画家はこの一枚、「土橋」を描いて武蔵野に対象を求めることを諦める。
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やがて房総に対象を求め我がマチにも一時居住。
湊町の銭湯「梅の湯」を知っている数少ない一人でもある。
一時家族ぐるみの付き合いに。とはいえ絵だけでは生活が成り立たない。
やむなく千葉市に移りタクシー稼業で生活を支える。
その旁ら銚子から館山まで残すべき懐かしき風景を求めては描いてきた。
画家が描く絵は悉くボクの知っている風景ばかり。
切り取った風景がある種ボクの生活圏や歴史でもある。
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それだけにどの絵を見ても懐かしさに胸を打たれる。
郷愁の一言だ。
「東京まれの田舎育ち」というのがボクの口癖。
それもこれもそんな環境で育ってきたからだ。


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by natsuman | 2017-01-10 09:37 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

ああ狩猟解禁

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昨11月15日は狩猟解禁日。
狩猟を始めたのが1963年。かれこれ53年も経った。
もっとも狩猟免状はあるものの3年前から狩猟登録をしなくなった。
それでも実務的には50年の狩猟経験がある。
往事は11月1日が解禁。さらに古くは10月15日解禁だった。
解禁日というのは例えば渓流釣りや鮎釣りと同じ。
その道の好き者には仕事を休んでも出かけたい大変な楽しみだ。
何日も前から準備を整えこの日を待っている。
また今年も始まる狩猟。猟野での期待感、わくわく感。
何事にも代えがたい高揚感がある。
それを今年は忘れた。
例年、ラジオ体操で城山頂上にいても、時計を見ながらそろそろだなと待ち構えた。
何しろ周辺は猟野。向山の奥には鴨がやってくる堰がいくつかある。
ウスアカヤマドリもいる。
時刻になればダーンダーンと銃声が山間にこだまする。
今年はそんな高揚感を忘れていた。帰宅して新聞を見て気がつく始末。
銃声が聞こえましたよ、とは家内の言。
覚悟して足を洗ったとはいえ、狩猟への期待感を拭うのに53年かかったわけだ。
それでも時に猟野を駆け巡った昔を思い起こす。
あれぞスポーツの原点だと。

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by natsuman | 2016-11-16 09:37 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

ジヤンダルムを踏まず

 4,5日前、白石康二の西穂高岳縦走記録が放映された。ガイド付き、ザイルを結んで、しかも途中一旦尾根から降りて山小屋へ途中泊のなんとも慎重な山行であった。
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 画面を見ていても大変な難所であることが分かる。いやはや凄いところを行くものだと初心者みたいに画面に吸い付けられた。
 これまでもいくつかこの手の山行番組を見た。そのどれよりも難しいルートであることが分かる。
 急峻であり高度感抜群である。「面白いでしょ。高度感たっぷりでしょ」などとガイドが何度も言う。でも「怖いでしょう」とは云わない。
 肝心の白石がかなり緊張しているのが分かる。危なっかしい場面もいくつかあった。
 北アルプスの縦走路としては最難関のルートだ。これに比べれば外はみなサイクリング道路みたいなもの。

 西穂小屋から登り始めて奥穂高岳まで。途中にはエスケープルートが一本しかない。ルートは両足でまたがるような細い尾根。佇立する岸壁に近いルート。正に岩登りの連続。
 途中逆スラブ構造という厄介な岩場がある。ここを逆コースで行くのはいやだなあと思ったものだった。高さ3000mに近い高所の急角度の瓦屋根を歩くようなもの。足は滑る、手がかりはないで難所の一つであった。
 そこを若いときと云っても中年を過ぎた頃、挑戦した。登攀と云うべきかも知れない。
 途中、独標というピークでは折から標柱を建てるお手伝いをした思い出がある。今もその時の標柱が立っている。
 そこから先は一気呵成に前に進むしかない。そうしなければ恐怖が先に立つ。
 
 白石は前後をガイドに挟まれて3人連れ。もちろんカメラも2人か。ヘルメットを被りザイルを纏い、カラビナをじゃらじゃらさせて小さな足場を頼りに慎重に一歩一歩登っていく。時に安全確保のためにザイルを使う。
 カメラが近く遠く、難渋する様を追っていく。岩稜が凄まじい。あらためてこんな所だったのかと驚く。
 ボクは単独である。ヘルメットなし。ザイルなし。もちろん登攀用具なんて何もナシ。ただ黙々と。
 天候が幸いした。恐怖感におののきながら無我夢中必至で登ったから足下を見る余裕はない。かえってそそれが良かったか、恐怖感は左程感じなかった。
 だがやはり緊張していた。無我夢中だった。
 奥穂高岳に着いてほっとした時、なぜか急に猛烈な脚の痛みが出て動けなくなった。
 これには参った。途中でなくて良かったと思うものの場所はまだ奥穂高岳の天辺である。
 この後は小屋へ下りるだけとはいえ足場の悪いルートを下るのは困難を極める。
 単独行に天罰が下ったか。一時はどうなるかと途方に暮れた。
 そこでふと来し方を振り返って、眼下に連なる登ってきた岩尾根を俯瞰したとき、ああしまったと思った。
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 アルピニスト一番の憧れ、通称「ジャンダルム」の頂きを踏まずに通り過ぎてしまっていたのだ。
 画像中の丸いドーム状の岩塔である。いかにもヨーロッパアルプスを思わせ、誰しもがあの頂を踏みたがった。そこに到るルートに気づかなかったのだ。
 とはいえ今さら戻るわけにも行かず地団駄を踏むしかなかった。ましてや脚の痛みがある。それは適わず何とも悔しかった思い出がある。
 杖にすがり脚を引きずりながら何とか時間を掛けて奥穂高岳小屋にやっとの思いでたどり着いた。 その晩初めて山小屋の臨時診療所のご厄介に。シップをする程度のことしか出来るはずもないが、それでも随分と頼りになったと今も胸に残っている。
 白石らももちろん無事登頂に成功。彼らも見ている方もあの難所を越えたかと万感胸に迫るものがある。ボクの方は特にだ。
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by natsuman | 2016-10-26 18:01 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

目を開けろ

 老人の日、市内の旅館・ホテルや温泉?施設が無料で開放された。但し70歳以上。
 何か年齢を証明する物をお持ちですかと聞かれた。で帽子をパッと取った。はいOK。
 たっぷり湯に浸かって大汗を掻き、ついでに夕食を済ませて帰宅。
 だが一夜明ければ、ウホッ寒いね。涼しいの通り越して一気に秋冷の候だ。
 Tシャツに短パン、素足では足下から冷えが上ってくる。慌てて靴下を履いた。
 開け放してあった窓からの風は冷気。台風の影響だろうか。お陰で身体はほっとしている。

 今朝の地元新聞、論壇に、ここのところ騒がれている豊洲市場関連で、汚染土の行き先が心配だと提起していた。同じ意見を二度にわたって投稿した老生にとって正に我が意を得たりである。

 豊洲の土地は汚染されている。そこに生ものを扱う市場建設では諸々の影響があるだろう。そうならないようにするはずであった当初の計画と実際が違った。
 とはいえ今さら出来上がってから騒ぐ話でもないだろう。
d0013739_9264415.jpg それより、そこにあった汚染土をどこへ持っていったか。その行き先の方が遙かに心配である。
 土地が汚染され人に影響があるなら、その土をどこへ持っていこうが、場所が違うだけで人に影響することに変わりはない。都会だって田舎だって人の暮らしに違いはないのだから。

 それを知って知らいでか、マスコミは計画と違う、何やら得体の知れない水が貯まってると大騒ぎする様は、まるで「群盲象をなでるがごとし」。
 視点がずれている。そう指摘せざるをえない。マスコミは「目開きの盲」か。
 都会では問題。でも田舎なら問題なし、困ったものだ。正に都会のエゴじゃ・・・・・。
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by natsuman | 2016-09-20 09:02 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)  

ちょっと待ったあ!

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東京都の小池知事が築地市場移転にまったを掛けた。
あの土地は何やら曰く付きの場所で裏の事情があるだろうとみていた。
それを掘り返した。有毒物質が含まれている土地。その安全性の確保に疑問を投げた。

これには千葉房州人として、もちろん館山の住民として、もう一つ別な意味で複雑な気持ちがある。
土地の安全性を保つために汚染土を取り除き土を入れ替える。
それはいい。必要なことだ。確かにその場所についてはね。

でも待てよ。入れ替えるのは良いとして、その取り除いた汚染土はどこへ行ったのか。
どこも引き取らないだろう。引き取り手はないだろう。
どう処置するのか。どこへ持っていくのか。

館山はじめ房州の各地の港には日々土運搬船がやってくる。
早朝の城山からは毎日いわゆるガット船と称する土運搬船が何隻も見える。
錨を入れて夜明けを待っている船もある。
どの船も深々とした喫水でやってくる。そして物揚げ岸壁には土の山が。

かって房州は良質の山砂を産出し、都会の工事にはなくてはならない存在だった。
都会の工事現場の埋め戻し用土砂の供給源として。
不思議なことに都会の工事現場では掘った土を埋め戻しに使ってはならない決まりがあるという。
隅々まで空洞のないようしっかりと埋め戻すには砂が良いのは分かる。
そのための山砂需要である。

山砂採取現場は殆どが住民も良く知らない山中の人目に触れない場所。
それを承知で始めたかどうかは知らない。
だが開発者は採掘許可を申請。現場を知らない県は結果的にこれを安易に許可・・・・・?。
そんな現場、巨大な山が消えたり、掘りすぎた穴がやたら増えた。困ったことである。

かって猟野を各地歩き回った老生はその現場に度々出くわし、
これでは、環境を破壊して飯を喰う、まるで自分の脚を喰って生きているタコのようだと思った。
地方の環境破壊は目をつぶるのか。事業者のエゴ、都会のエゴである。

それが今はあべこべ。土が運び込まれ、穴に放り込まれる。
巨大な穴は瞬く間に一杯になり、各地に人工的な荒涼とした台地や山が現れた。

運び込む土、それが一体どこから来たのか住民は多くを知らない。
何やら得体が知れない。どう見ても工事現場からのもの。
もしかして危険な物質が含まれているかもしれない。そう思っても不思議はない。

それまでは運び出しだった。しかもモノは良質の山砂。
緑は剥がされ、道路は荒れ、ほこりも立つが、それでもこれは積み出し。
砂に問題はない。

だが今度はそこに得体の知れない膨大な量の土が運び込まれた。
跡地が埋め立て用地になった。
周辺の地形とは相容れない人工的な地形が随所に続々と誕生。

ついには捨て場がなくなった。新たに場所を探さなければならない。
でとうとう、千葉県にとって北海道の知床半島にも当たる、
風光明媚な西岬半島の山間まで埋めはじめた。既にgoogle earthで確認できる。

新築地市場だけの問題ではない。汚染土の行き先こそ、待ったではないか!
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by natsuman | 2016-09-11 10:50 | 自然環境 | Trackback | Comments(0)