2017年 08月 09日 ( 1 )

 

長崎、もう一つの実験

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72年前の8月9日、アメリカは開発した原子爆弾二つの内、もう一つを実験した。
広島に続く生体実験だった。

当時、戦争は外交の正当な手段。行き詰まった外交を戦争に訴えるのは違法ではない。
戦争では敵である相手の戦力を打ち砕くのが目的だ。それには兵士を殺す行為が含まれる。沢山殺せば英雄。罪には問われない。
但し、相手は兵士に限る。誰でもというものではない。
そこを区別するため兵士は軍服を着る。軍服でないものの殺傷は違法である。

敵国人とはいえ、兵士以外の市民を殺せば国際法に違反する。人道的信義にもとると云うのがその理由。それを大々的にやったのがアメリカ。都市を爆撃し数万人単位の市民を焼き殺した。戦闘機でさえ市民を見れば銃撃した。明らかな違法行為である。

古き時代、戦争は常に相手が見える場所、則ち戦場で行われた。市民はそれを眺める立場だった。
時に巻き添えを食って犠牲者が出ることもあったが、兵士が一般市民を相手にすることはなかった。
ところが兵器が発達して、見えない相手を攻撃するようになってから犠牲者が増えた。
特に飛行機が主役になってから顕著になる。ましてや都市爆撃が始まって一般市民の犠牲は格段に増えた。
飛行機からは地上の惨禍は見えない。搭乗員は地上で何が起きているか知らない。後方の司令部ではなおのこと。爆撃という手段が人間を狂わせた。

敵国民が戦争を陰で支えているという理由でアメリカは市民抹殺を正当化しはじめる。ついには人間をいかに効率よく殺すか、その方法を研究した。
焼夷弾による都市の爆撃。東京大空襲に代表される日本全土の爆撃。その延長上に原子爆弾投下がある。
しかも威力を確かめるため、実験として広島に続き長崎にも原爆を投下した。反撃するだけの戦力も国力ももうなかったのに。

今、核兵器は現実の力になっている。ましてや核の傘に守られている日本。それでいて核兵器廃絶を謳うことの矛盾。
そんな中で原爆被害を止めどなく悲歎しあっても今さらどうにもならない。追悼しているだけでいいのか。辛い体験をした大勢の人々に代わって非難の声を上げるべきではないのか。 
被害者は一般市民だったという、このアメリカの非人道的行為に何故日本人は声を上げないのだろう。黙祷! 合掌


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by natsuman | 2017-08-09 17:15 | 歴史諸々 | Trackback | Comments(0)