2017年 06月 26日 ( 1 )

 

我がマチ

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城ブームも変化がある。
最近は中世の城に人気があるという。
なら館山城は正にそれに当たる。
石垣や天守は近世江戸時代のもので、
中世の城に石垣はない。専ら地形を利用した。
まして房州は堅い石材に乏しい。城跡に大規模な石垣はない。
館山城は里見氏最後の殿様、里見忠義の居城であった。
と云うと如何にも城山に居住したかのように聞こえる。
だが、殆どは江戸詰であった。
今は頂上に天守がある。しかし中世の城にあったかどう。かなり怪しい。
ただ館があったことは確か。それが館山の地名のもとになった。
住民はそれを城山と呼ぶ。

里見氏は十代で終演する悲劇の大名だった。
江戸の初期、まだ德川幕府が外様の動静に目を光らせていた時代。
里見忠義は大久保忠親への嫌疑に連座したと難癖を付けられ、
突然、鳥取県の倉吉に送られてしまう。
殆ど島送りに近い。犯罪者扱いであった。
ろくに喰うものもない生活の中、病没する。
墓は倉吉市の大岳院にある。
家臣が密かに遺骨を蛸壺に隠して安房国へ持ち帰ったと伝える。
その七人の賢臣のと称する墓石が近くにある。

時代はさらに下って江戸の後期。
これにヒントを得て馬琴が壮大な物語り、南総里見八犬伝を著す。
今、天守閣は八犬伝博物館である。
画像はそこから俯瞰する館山市街。
我が家はそこにない。これとは反対側の城郭内にある。
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by natsuman | 2017-06-26 15:07 | 歴史諸々 | Trackback | Comments(0)