2017年 04月 06日 ( 1 )

 

自虐感のなせる技

d0013739_10011006.jpg 何やらしきりに教育勅語が話題になっている。あれは子細に読めば現代にも立派に通用する内容とボクは信じるが、戦後のアメリカによるウオー・ギルド・インフォメイション・プログラム(WGIP)によって洗脳された、いわゆる自虐感にとらわれた人々は、その皇国感が怪しからんと云う。
 多分「一旦緩急あれば・・・・・汝臣民は皇運を扶翼せよ」の個所、訳せば、国家の存続を危うくする事態になったら、お前たち国民は天皇を助けよ、というのが面白くない。天皇と臣民の関係、天皇家存続を国民に義務づけているとの表現が気に入らないのだろう。
 「緩急」とは、例えばどこかの国が突然攻め込んでくるような、則ち国家存亡のときという意味。今の中国はあからさまに日本占領政策を推し進めているし、実際、昨今の東アジア情勢は風雲急を呼ぶものがある。
 もしそうなったら国民はどうするか。立ち上がって迎え撃つか。それともこぞって逃げ出すか。逃げ出すなんて言語道断だが、どこの国だって一国が成立していればまずは抗戦するだろう。
 70数年前の敗戦は、打ちひしがれつつも国民にはほっとした部分もあって、おとなしく占領軍の指示に従ったが、それでも天皇の扱いに関して、則ち国体の護持が問題となった。
 日本には天皇=皇室が存在する。民主国家となった今も同じ。例えそれが如何に象徴的とは云え、皇室の存在を抜きにして日本の国は考えられない。だったら「皇運を扶翼」することに異義を挟むことなどあろうはずがない。と云うのがボクの持論。にもかかわらずそれを皇国感だとして騒ぐのは、それこそ自虐感のなせる技。
 皇国感は確かに今の時代にそぐわない。しかし教育勅語全体に流れる理念は国家体制に関係なく今でも通用する。強いて引っかかるのは僅かな個所。それも「皇運」の文字のたった一語ではないか。「皇運」とあるから問題視するような気がする。
 ならば、それを「国運」と解釈するか、あるいはそう語句を変えてみてはどうだろう。「国運」なら国家そのものの将来の繁栄を意味するし、あるいは「国体」でもいい。それで一件落着ではないか。
 要は、教育勅語の趣旨は今の時代にも立派に通用する。将来の幸いを願う対象を国家全体あるいはそれを構成する日本人全体と解釈すれば決して否定すべきものではない。一語一語は今も立派に通用するし、まして皇室の安泰=国家の安泰と思えば、弊害よりは効果の方が遙かに高いだろう。
 制定当時は皇国的政治観の時代。国民への施策は何事に付けそれにそった表現となった、つまりは文体がそうだっただけ。国の将来を思うことが根底にあることに今も昔も変わりはない。
 昔、ふとそんな印象を持った。

 我が国にとって皇室は否定のしようがない。日本という国から天皇制を外せば日本の歴史を否定することになる。70数年前、日本が降伏と決したとき、まず政府が考えたのは当然ながら国体の護持であった。アメリカは日本の治世に天皇が不可欠として皇室を瓦解させることはしなかった。
 しかし、日本が二度とアメリカに立ち向かわないよう、日本人に戦争の罪悪意識をたたき込むウオー・ギルド・インフォメーション・プログラム(WGIP政策)を強力に進める。いわゆる自虐的精神を植え付けた。日本人の再教育、洗脳と云ってよい。
 この政策の効果は絶大。未だにその呪縛から抜け出せない日本人が多数いるのはそれを物語っている。それを利用して中国や韓国は何かと日本を貶めようともする。もちろんその手に乗ってはいけない。

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by natsuman | 2017-04-06 10:03 | 時事世論 | Trackback | Comments(0)