何ともまあ豪壮な 7月18日
その一角に人家が集まって町を為し、かって越後の府があった。そこに越後一の豪農「伊東家」がある。
敷地、何と8800坪。堀に土塀を廻して巨木を侍らし、門だけでも四方向に、さらに二重にある。点在する建物の建坪1200坪という途轍もない屋敷である。これが農家か!
須坂市の豪商「田中家」も大きさといい造りといい凄いが、広さではこちらが圧倒する。明治になって田畑を集合して大地主にになったようだが、その土地から揚がった米が何と3万表。
その頃建てられた母屋の豪壮なること、ただあっけにとられるばかり。座敷、茶の間、台所、庭、どれもこれも実に広い。庭だって一つじゃない、あっちにもこっちにもある。茶室なんぞは何と正三角形ときた。
大体、通りから日頃使う通用門までの距離が、小さな学校のグラウンドを一つ越えてこなければならないほどもある。一通りさっと見るだけで1時間は掛かる。母家の中だけでも何百mも歩かねばならない。ただ冬は寒かろうなあ。
室内に展示してある不動産の記録が凄い。その束だけでも数百ページはありそう。経営の仕方如何とはいえ富の集積の凄まじさに恐れ入った。
今はさすがに博物館になっている。「北方文化博物館」がそれ。今このヒゲの御当主は何してるんだろう。
by natsuman | 2009-07-18 17:01 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)