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高齢者の宇宙はしぼむ        1月24日

 誰しもが自分の宇宙を持っている。それが大きいか小さいかはその人の器量。器量が大きければ気宇壮大になるし受容力も高まる。が小さければ小人閑居して不全を為すで、近視眼的に狭い範囲のことしか目に入らず、とかく社会と隔たりを生ずることになる。
 この歳になると、その小さい方へとどんどん傾斜して、世の中何が起ころうと関心が薄くなる。若いときには何事にせよ興味を抱いては積極的に首を突っ込んできたものが、近頃はそれがない。今さら新しごとをこさえても、もうそれを高められるだけの時間が無いというのが大きな理由。
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 これぞ枯れたとか老境に入ったとかともっともらしい言い方もあるが、要は生物学的に心身の老化が進んだ証拠。お陰で、世の中、麻生内閣がいくら混沌としていようが、アメリカにいくら歴史上初のカラードの大統領が誕生しようが、あまり興味も関心も起きない。そんな新聞記事もさらっと斜め読みで終わる。そのせいで爺の頭も一般世事から縁遠い。この頃は精々自分の息のかかる範囲が世の中か。
 結局、どうってこともないことを文章にし、残り少ない時間を潰しているだけ。少々情けない。今日もどうだと云えるような記事はなし。孫にせがまれてゲームコーナーへ。爺はひたすら待って草臥れ、その間、爺のポケットから小銭を巻き上げる彼らの術ばかり巧くなる。
 ゲームというボクらにはなかった文化。これがいい方へ影響するか悪い方へ影響するか、心配は尽きない。20年先にそれを確かめられるかなんて思ってるようでは正に能天気だね。
 

by natsuman | 2009-01-24 17:17 | 時事世論 | Trackback | Comments(0)  

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