鉄砲から見る近代の夜明け 8月28日
「鉄砲から見た近代の夜明け」と題しての企画展が目的だった。しかし展示物の殆どはどこか他所の博物館資料館で見た物ばかり。時間と金をかけて行くほどではなかったなと今は思っている。それにしても館山から日野は結構遠いね。
幕末期に西洋流炮術が日本に到来。ご存じ高島秋帆やら江川太郎左衛門などが窮国を訴えてその導入を図る。そして徳川260余年の太平は破られ、それまで武士の嗜みとして営々として伝えられてきた各種の武道、特に炮術は一気に古式炮術として顧みられなくなる。
展示の中に面白い物があった。既に他でも見たことのある代物だが、背嚢を背負い、刀を差し、ゲベール銃を携え、一、二と歩調を合わせて操錬する兵士の姿を、細かく数十枚の絵に現したものだ。
幕末に到るまで日本人は号令をかけて団体行動するという習慣が無かった。今、各地の鉄砲隊が、「火蓋開けー、放てー!」なんてやっているが、本当は戦場であんな事は無かった。
展示の中でも説明しているが、日本人の戦闘、特に射撃に関しては、それぞれが期を見て射撃する各個射撃である。いわば鉄砲足軽は狙撃兵であった。
一方西洋式の射撃は軍陣を張って集団で発射するバラ巻き射撃であって、戦闘方法が全く異なる。このため、つまり密集体系の集団を指揮するためには号令が不可欠となる。一斉に隊列を整え行進し、弾丸を込め発射するまでの操作を実に細かに決めてあった。それを分かりやすく絵にしてる。
今も学校で使われる「気をつけ」「前へ進め」「止まれ」等々の号令も実はここに起源がある。号令とは元は軍用用語だったのだ。さらにはランドセルはオランダ語の背嚢のランセルがなまったものだし、ハトロン紙にいたっては銃弾の薬莢に使われた紙に語源がある。
それはともかくとして、戦の仕方が異なるということは武器や、その使い方にも大きく影響する。そう考えれば、長篠の戦いでの3000丁の鉄砲の三段撃ちなんてものも、まずは疑うべきものである。
by natsuman | 2008-08-28 21:57 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)