おおう、何てことを! 12月16日
前者は父親の銃器の基本的な扱いのお粗末さにある。必要なとき以外は弾薬を装填するな、人に筒先を向けるな、引き金に不用意に指をかけるな、これが銃所持者が常に心がけなければならない厳守事項であり、そう厳しく指導を受けているはずである。ましてや弾丸が残っていたなんてのはもう全くの論外。だからこそ先の3原則が叫ばれるのだが・・・・・。
銃器は一つ扱いを間違えばとんでもないことになり得る道具。所持許可要件が厳しいのは当然である。操作と管理が安全に出来ると認められるからこそ所持許可が降りたはずだが、その一番基本的なマナーを欠いてたことになる。
一方、今度の長崎の事件は一体何だ。まさにキチガイに刃物。乱射する理由も分からない。何故こんな男に所持許可が降りたのか、そう思うのは当然だろう。ましてや警察は何をしてたのかと。
こうしてまたもや銃器所持をもっと厳しく取り締まれとの声が高まる。一方、それでなくても3年ごとに身辺や行動、暮らしに到るまで徹底的に調査されて、まるで犯罪予備軍のような扱いを受けている所持者はうんざりする。銃砲管理に関しては世界一厳しいと云われる日本だがこれでまた管理が一段と厳しくなるだろう。
だが如何に厳しい体制を敷いても、人の心の中まで見透かすことは出来ない。心の奥底を隠したまま、如何にも善良ぶって所持許可を申請してくれば、あるいは心変わりしてしまっても、公安委員会だってチェックのしようがない。不適確者かどうかは、いわば事件が起きてから初めて分かることになる。
確かにこんな男に所持許可が降りていなければこの事件は起きなかった。だが公安委員会としても事後の人間性の変化までは予測できないから、それを事後に糾弾してもどうにもならない。犠牲者の方々には掛ける言葉もないが、だからといって窓口の警察の責任を追及しても詮無いことである。法律に従って適正に申請を処理したとの返事が返ってくるのは目に見えている。この事件は法制では管理しきれない部分がある、今回はそれをかいくぐってしまったと云うことだろう。
by natsuman | 2007-12-16 10:46 | 時事世論 | Trackback | Comments(0)