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文書の主は叔母のご先祖様!    6月20日

 毎月第3火曜日は古文書講習会である。この地域の古文書を材料に、市立博物館の名先生が見事な板書で解説解読の手ほどきをしてくれる。2時間があっという間に過ぎる。
 今日は内房地区の漁業問題。事前に資料が渡されている。文書の主は叔母のご先祖様!    6月20日_d0013739_21133582.jpg
 さて今日の文書、漁業問題の詫び証文というもの。協定に違反して申し訳ないことをしたと詫びを入れている内容。だんだん解いてゆく内に、あれれ!この人聞いたことがあると気がつく。
 何だこれは家内の親戚筋の家のことではないか。現南房総市富浦町岡本字汐入。義理の叔母の岡本家。汐入の平三郎、確かそう言っていた。
文書の主は叔母のご先祖様!    6月20日_d0013739_2114829.jpg あらー、今は農家だが昔は漁師だったんだ。ふーん。でもさもありなん。今でこそ花卉やびわ栽培の農家で民宿も兼ねている家だが、元々は背後にそびえる古城の城主・岡本氏に連なる系譜で、由緒ある家柄である。里見氏8代の里見義頼はこの岡本城を配下に組み入れて自らの居城とし、安房一国から上総にまで権勢を敷いた。以来、岡本家はその岡本城の麓に今も住んでいる。
 この辺りは汐入川が流れ込む小さな入り江で、海の城、岡本城址の直下にある。集落は地形の関係でこぢんまりとしているが、里見氏の時代には水軍の根拠地であった。集落の先祖をたどればみな里見氏系の一族で水軍である。平時は漁業や海運で業を為し、いざとなれば槍刀を取って戦力となった。
 中世、関東を二分する勢力争いの渦中にあって、東京湾の交通権を競って、ここから遠くは関宿付近まで出陣し、あるいは三浦半島へと押し寄せては北条方と戦乱を交えている。旧汐入村はその水軍の中心地であり平三郎もその一人であった。
 下って江戸時代、慶長19年(1614)、大阪冬の陣の年、突然、里見氏は幕府から安房の国を召し上げられ、掘りは埋められ館山城は廃却される。その最後の悲運の殿様、10代里見忠義は出張先からそのまま伯耆の国・倉吉に移封され、8年後、悲運つたなく寂しく没した。
 こうして里見氏は歴史から消える。幕府にとって外様の里見家は何としても潰しておきたい目障りな存在であったのだ。里見家の悲運の物語である。南総里見八犬伝はこの悲劇をヒントに曲亭馬琴が作り上げた奇想天外な大ロマン物語である。
 更に下って嘉永4年(1851)、今日の文書の時代。既に平和な時代にあって武器を手にすることはなく、平三郎が漁業で生計を立てていたことは想像できる。そして漁業問題を起こしたと云うことは平三郎が新漁法を取り入れ、かなり積極的な操業をやっていた証でもある。その時、ペルリが黒船でやってくる2年前であった。

by natsuman | 2006-06-20 18:24 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

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