倉吉から戻る

一昨日遅く倉吉から戻りました。昨日はいつものように事後の片付けでてんてこ舞い。
託送した荷物を解き、汗ばんだ衣装類を洗濯部に廻し、洗えないものは陰干しに。
鉄砲の清掃は欠かせない。火薬には炭が入っている。
その残渣物と拭浄用の油でいつも手は真っ黒。まこと厄介だ。
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倉吉は鳥取県の主要都市の一つ。少し内陸部にあるが昔から交通の要衝である。
館山と同様、ここにも戦国時代の城があった。打吹山という。
その裾野に市役所が、旁らには日本の公園第一号の打吹公園がある。歴史的な地域だ。

安房国の殿様、里見氏十代の忠義は、幕府内の勢力争いのとばっちりを受け、ある日突然に改易処分を受ける。
改易は蟄居より重く切腹より軽い罪科のことだ。
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藩主と云えども罪人となれば取り締まりや監視はきつく生活はままならなかったらしい。
だが倉吉の農民や町民や僧侶らの助けを得て、士従共に倉吉を転々として生き延びる。
晩年は殿様自らクワをふるって必死に喰いつなぐ。懸命に生きたものの関金堀の屋敷で憤死する。
殆ど栄養失調ではなかったかと推察する。まことに悲劇。
房総の雄・里見氏はここに終焉して歴史から消える。
忠義の骨は後に密かに蛸壺に隠して房州へ持ち帰ったと伝えられる。
やがて数百年が経過。馬琴が長い里見氏の歴史を参考に小説「南総里見八犬伝」を出版する。
士従は八賢士となり、いつしか八犬士となって空想の世界を広げた。
館山市の祭りが八犬伝仕立てであるように、倉吉の祭りもまた同じ八犬伝仕立てである。
手作り甲冑で身を飾った面々が賑やかに古い町並を練り歩く。
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忠義の墓がある大岳院で法要の後、境内の端っこから武者行列がスタートする。
その合図を兼ねて発砲。境内に轟音が轟いた。
と書きたいところだが実状は庭の隅から駐車場に向かっての発砲。
それでも倉吉市民にとっては初の轟音と白煙のスペクタクルであった。
翌朝の地元新聞に大きく紹介される。
無事終わって肩の荷が下りた。
因みに発砲の際の画像は撮れない。本人が撃ってますからね。
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by natsuman | 2017-09-06 09:39 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(0)  

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