追想、木更津飛行場

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木更津港の北側に飛行場がある。かって海軍航空隊基地だった。
ここで日本初のジェット機が飛んだ。終戦の数日前のことである。
海軍が開発を命じた中島飛行機会社製作の特殊攻撃機。”橘花”と云った。
純国産のジェットエンジン(ネ-20)を積んでいる。
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ドイツから技術資料を潜水艦で運んだが、途中艦もろとも沈められて資料は極めて断片的であった。
スタイルがドイツ機に似ていたので、コピーと思われがちだが純国産である。
これで日本は戦前に独自にジェット機を開発した国の一つになった。
そのテストフライ、”橘花”の初飛行がここだった。

20代後半、狩猟免除を取り冬は野山を駆けまわった。
まだ民営の射撃場の整備が不十分で、猟友会の射撃会を海岸でやったなんて時代である。
そんな頃、この飛行場でクレー射撃を楽しんだ。
戦後、米軍の基地となった飛行場にはスキート射場があった。
搭乗員の射撃感覚を向上させるための射撃訓練用である。
クレー射撃は動いている的を狙うダイナミック・シューティング。つまり動的射撃だ。
戦闘機ならずとも三次元運動する敵機を打ち落とすには動く的を撃つ射撃感覚が不可欠。
米軍は特に機銃手に対してスキート射撃を必須科目つぃた。そう聞いている。
滑走路脇の草むらに少し掘り込んでクレーハウスが設けられ、フェンスの向こうに広がる東京湾に向かって射撃した。

当時猟友会のメンバーにここに勤務していた軍属がいた。その関係で時折り使わせてもらった。
米軍将校の中には歓迎ムードもあって大きな缶に氷とコーラをぎっしり詰めて出してくれた。
ただ飛行場内だからクレーハウスが地面より低い。排水が悪く雨が降ると水が貯まってしまう。
来る度にまず水をかい出すことから射撃が始まった。

その頃、物価・給料共に今の1/10。それでいて装弾価格は今とほぼ同じ。
つまり当時の射撃では弾丸代が今の10倍もしたわけである。
貧給の若造が度々出来るものではない。少しでも安くと手詰めをしたのを覚えている。
この飛行場を見下ろす度にそんな思いが蘇ってくる。

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by natsuman | 2017-04-28 17:52 | のりもの | Trackback | Comments(0)  

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