海から騎兵隊上陸 1/20
昭和20年8月、広島・長崎には非人道的な新兵器原子爆弾が落とされて日本の行く末が暗夜に閉ざされる。ここに至ってはと降伏の道を選ばずにはいられない。政府は天皇陛下のお言葉をもって全国民に戦争の終結を諭した。8月15日すべての抵抗が終える。
国民はホッとしながらも負けたという現実の厳しさを思い知らされる。8月15日は抵抗の終結を呼びかけた日であったが、なぜか日本人はこの日をもって戦争が終わったと勘違いし続ける。
だが連合国の一員であるソ連は条約を無視して日本に向かって新たに攻撃を開始する。その後約半月間、敗戦を強いられた弱い国民に向かって無為な攻撃を仕掛け、多くの命が大陸で北の海で亡くなる。戦争はまだ続いていたのだ。
さてその2日後、米軍は初めて日本本土に上陸する。なお強力な抵抗があるものと信じて火器にはすべて実弾を込めて。その初っぱなの情景がこの画像である。
昭和20年(1945)9月4日。米軍の先遣部隊である第?騎兵隊が上陸用舟艇で我がマチ館山の一角に上陸する。場所は旧海軍館山航空隊基地の水上機や飛行艇を上げ下げする幅広い斜路(地元では水上ハンと呼んでいる)。
兵隊が大挙上陸するのにこれほど適した場所はない。今は分割して造船所や漁協施設、海自などが使っているがかっての面影は今も歴然としている。
我がマチは米軍が戦闘装備で最初に押し寄せた場所なのだ。このあと館山市には僅か4日間ではあったが軍政が敷かれる。軍政が歴史に残るのはここだけ。
思えば我がマチは東京湾口部にあり、かっては帝都防衛の要であった。家内の叔父もここから一式陸上攻撃機の機長として哨戒飛行に飛び立ち、2月16日、本土初の空母艦載機による攻撃を受けて被弾。懸命の操縦で不時着を試みたが還らなかった。
by natsuman | 2015-01-20 11:11 | 歴史 | Trackback | Comments(0)