晴耕雨読 10月18日
やむなく書斎に籠もり、課題であったある所属団体のNPO化について資料に目を通す。気のついた点をささっと二枚にまとめてメールした。こういうときは実に便利。封筒だの切手だの投函だの面倒くさいことをしなくていいのは正に事務の効率化。
ところで世の中にはなぜか本を読まないという人が居る。それではどうやって知識を入手するのかと銀爺は日頃思う。それでは住んでいる世界がものすごく狭くなるのではと不思議に思う。最も大概そういう人は気がついていないようだが。
同様にこういう便利な時代にパソコンだのメールだの携帯だのを使わないという方も大勢いらっしゃる。人は様ざまとは言うものの同じ時代に生きていても、随分損をしているなあと思うのは銀爺だけか。
午後は月に一度の古文書の講習会。毎回宿題が出たり、次回のテキストを渡されたりで、それなりに解読に挑戦していると1ヶ月は直ぐにやってくる。銀爺は勉強がたりないせいか、文書に目を通してはじめに読めたと思うと、それが頭にこびりついて思いこんでしまい、結果的に後でとんでもない理解をしていたと思わず赤くなることがしばしばある。頭が固いことの証明である。
これは柔軟性の欠如もさりながら、やっぱり経験不足としか云いようがない。今日もそんなことがあった。よし今回は満点と勇んで宿題を提出しても、先生が添削して戻ってくると赤字だらけでまるで一年生。しかも大概は簡単なところを間違えてまことに思慮に欠けていると反省せざるを得ない。
だが古文書解読は面白い。読めなかったものが段々読めるというのは実に愉快。先生の話を解釈を一言も聞き逃すまいと懸命になっていると2時間の講義もあっという間に終わる。すらすら読めるようになるのは難しい。実際、博物館の展示物などを見てもやっぱりちんぷんかんぷんが多い。江戸の人はよくまあこういう字を書いて読んだと感心するばかり。改めて日本人は凄いと思う。今日は写真撮らなかった。
by natsuman | 2005-10-18 22:52 | Trackback | Comments(0)