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敗戦無念日 8/15

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 あの日、日本は戦争を停止した。明らかに負け戦だった。故に「終戦」ではなく「敗戦」だと肝に命じていた。
暑い暑い夏の盛りだった。市原の山奥、実家に預けられて一人疎開の身であったボクはまだ6歳。戦争のことなど知るはずもない。それでもB29が撃墜された現場へ行き何かの計器を持ち帰ったことを覚えてる。金色に光るジュラルミン製の美しさに子供心ながらアメリカは凄いなと思った。
 庭先の電柱でアブラゼミが鳴いていた。祖母や叔父、数人が奥の部屋の縦型のラジオの前に集まっていた。それが何であったか当時のボクはまだ知る由もない。玉音放送とはずっと後で知る。
 雑音の混じるラジオ。陛下の音声は良く聞き取れず、その真意を即座に理解できた人がどれだけあったろうか。それでもどうやら日本は負けたらしい、戦争は終わったと悟った。
 負けたという悔しい思いと、ああこれで戦争が終わってホットしたという、両者の思いがないまぜになって日本人の胸の中はみな複雑だった。

 今あらためて玉音を聞いてみる。当時としても難しいお言葉は、今の若い人には殆どお経のようにしか聞こえないかも知れない。でもその意味を思い巡らしてみると、いかにも無念な気持ちに溢れ、日本国と日本人の将来を深く憂えていて、天皇はなかなかいいことを云っている。年に1回、この日位、あの玉音放送をあらためて聞くのもたどってきた歴史を考えるいい機会になる。
 有名な「戦争論」を著述したかのクラウゼビッツは「戦争とは政治の一手段に過ぎない」と云った。しかしその真意を理解せず、もし安易な気分で戦争を選択をすれば国存続の大義を失う。そんな戦争はあってはならない。とはいえ挑発されてやむを得ず受けて起つ戦争もある。
 大東亜戦争がそれ。しかし受けて起った戦争という理屈は戦勝国側にしてみればまことに具合が悪い。その蔓延を防ぐため、日本は侵略のため戦争を始めたと戦後の日本人に徹底して吹き込む。日本人改造の戦略である。その影響を強く受けたのが教育界。いわば洗脳された教師によって教育された国民は自虐史観が歴史の本質だと誤解する。
 極東裁判の時、インドのパール判事は「こんな理不尽なことをされてはどんな小さな国だって銃をとって戦うだろう、日本は挑発されたのだ」と被告の日本を弁護した。
 もしあの時と同じ状況になれば、誰しもまた同じように多くの犠牲を払ってでも戦うというのが本義だろう。そうなればもちろんボクも戦う。しかしそれが大国のエゴのため、その手先となることなら話は別だ。
 アメリカという国、幕末の開国以来、自分の思うようにするため途轍もなく大きなスケールで日本を飲みんできた。それもこれも国家的戦略である。太平洋戦争(アメリカ側の呼称)も幕末の開国要求時の戦略の一環なのだ。
 このまま行けばいつか日本はアメリカの属州となってしまう。いや既に実態は属州と云っても良いだろう。しかも国の繁栄と国民の安寧はその方が良さそうに見える。でも日本の歴史と日本人のアイデンテイは確実に失われる。
 日本人よ、そうなりたいのか、そうしたいのか! ボクはノーだ。そうでなければ命をかけて戦った同朋に申し訳がたたない。
 戦没犠牲者に黙祷!

by natsuman | 2013-08-15 10:00 | Trackback | Comments(0)  

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