でかいのを撃つ 7/3
江戸時代には約400もの流派があったという。そんな古式砲術も幕末以降の西洋式砲術の導入によって一辺にお蔵入りしてしまう。今残る流派は九州の陽流、土浦の關流と、東京の森重流、それに再興を図っている中島流くらいなものか。
外にもそれなりの流派名を掲げている演武団体があるが、どれも流派としては今一つはっきりしない。
と言うのも往時はそれぞれ独特の流儀であったものの次第に他流と混交し、今はどれも皆同じような技術になってしまったという事情がある。
中で唯一特異性を発揮しているのは中島流だけかも知れない。再興も拠点が千葉市千葉城鉄砲隊も概ねそのグループによって構成されていてこの老骨もその一員だ。
日本前装銃射撃連盟は火縄銃射撃の研究組織である。ボクもその一員で活動は射撃主体。演武は本来門外漢である。但し森重流砲術に関してはその伝承を引き継いでいて、老骨も武道館で演武を披露したことがある。この身も森重流砲術の一員という思いがある。
土浦の關流は宗家が高齢のためもあって近年活動が鈍り、中島流のメンバーはそれを陰で応援してきたが、今回その延長として相馬藩關流砲術を応援。ややこしい話だ。
關流もとてつもなくデカイ火縄銃を放つことで有名。最後の締めは相馬の100匁筒。50匁もこれには適わない。
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by natsuman | 2013-07-03 08:53 | 射撃砲術 | Trackback | Comments(1)