教育一徹 9/27
二日ほど前の夜中、高校時代の友人から電話があった。恩師が亡くなられたと。えっとボクは絶句。
そう言えばその二三日前、何となくふっと、そういえばあの先生もお元気だけどお歳だなあ、いつ逝ってもおかしくないなあ、と何気なく思ったのを思いだしたからだ。こういうのを虫の知らせというのだろうか。
訃報は高校時代の担任。格別お世話になった方ではないし、当時から何もかもお見通しだよと言わんばかりの雰囲気があって、時に厳しく身の竦む思いがあって、ボクにはちょっと煙たい存在だった。
国文学が専門で国語の担当だった。授業ではボクはまあ出来た方だった。指名されて誉められたことはあっても困ったことはない。今でもあの時の返答は名答だったろうと自負する記憶もある。国語系が苦手でなかったことが今このブログに繋がってるかも知れない。
ああそうか、去年お会いしたときはまだ元気だった。けれどその後、何か健康を害されたかと思いつつ、滅多に着ないし、着慣れない喪服で上京。片道2時間のバスの旅。
場所は直ぐ分かった。四谷の聖イグナチオ教会。教会は二度目と昨日書いたが、正しくはミサ出席が二度目である。
聖堂はドーム状で館内は宗教的威厳もあって厳粛な気持ちになる。一昨年旅したイタリア観光のドウモとはスケールが違うが、それでも広々とした堂宇に目を見張る。ただしこちらはキリスト教徒ではない。ホホーといった面持ちで儀式を眺め葬儀を終えた。
ご家族から事の次第の報告があって驚いた。何となんと原因は突然の傷害である。奥様と恒例の箱根温泉行のため新宿駅のプラットホームを歩いている最中、突然倒れて床に後頭部を強打。救急車で医科大病院に。
一時危ぶまれたものの意識を快復。命は大丈夫との医師の話だったものの、その後に再び急変する。
先生はさすがに覚悟されたのか、いろいろと後の処置を命じ、済ませてから約二週間後に長の眠りについた。カトリックの洗礼を受けたのもその間だとか。ヨセフ ナガオ イサムがその洗礼名である。
棺の傍らには勲章があった。受賞されていたなんて知らなかった。そんなことこれっぽちも口に出さなかった。それも人柄故であろう。
棺を見送って最後の別れをした。こうしてまた一つ我が身を包む何かが消えていった。
by natsuman | 2012-09-27 10:05 | 教育学習 | Trackback | Comments(2)