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オープンカレッジ 7/14

 たてやまオープンカレッジなるものに出て「江戸時代の身分を考える」を聞いてきた。
 てっきり士農工商の話かと思ってたら、以前に読んだ網野善彦先生の説そのままであった。どうやら講師はご一緒にいろいろ調査をしてきたらしい。
 身分というと士農工商と続き、封建制度の時代の制度と大方の日本人はそう教育されてきた。しかしこれは中国の言葉を借りてきただけで、元もと身分制を意味するものではないという。単にそういう職業があるとことを云ってるに過ぎないと。
オープンカレッジ 7/14_d0013739_1653956.jpg しかしそこにある百姓の意味はこれまで農民と解釈されてきた。
 ところが百姓とは農民ではない。農民だけを指すのではないという。この説、著名な歴史研究家、網野善彦先生の高説で、今日初めて知った方々には大変新鮮に聞こえたかも知れない。支配者層の侍の次に米を作る百姓=農民が偉いんだとされていた制度だと思っていれば尚更だ。
 百姓は必ずしも農民ではない。村に住む者は、土地を持つ本百姓の外に、水飲み百姓と云われる土地を持たない層もあり、しかもそれでは農業で生計を立て得ないから、それに代わるいろいろな職業があった。つまり百姓とは職業を指すのではないと。
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 村に住んでれば鍛冶屋も鋳師も大工も陶工も商人もみな百姓。同じ仕事でも街に住んでいれば町人。
 したがって営みが巨大化しても、例えば廻船を所有して海運業を営み大きな商売をしていても、村に住んでいればどれも百姓。しかも土地を持たない故の商売だから水飲み百姓だという。
 水飲み百姓=貧乏農民という解釈は間違いだったわけだ。
 各地の古文書に記載された百姓の文字がそれを物語っている。奥能登の今は観光地となっている曽々木の時国家の豪壮な農家建築はとても百姓とは思えない佇まいだが、それに連なる親戚筋が水飲み百姓を意味する頭振とされ、廻船業を営んでいた例などを挙げて、百姓にはありとあらゆる職業があると解説。
 その最中、古文書の出所の説明で苗場山の麓にあるが、苗場山に登った経験のある方はとあって、手を上げたのはボク一人。暫くしてまた時国家をご存じの方はとあったときも、手を揚げたのはまたまたボク一人。周囲には元学校の先生と思しきご高齢の方々が並んでいたが、手を揚げたボクの方があれっと思った。何を思ったかは書かないでおこう。
 網野善彦先生は歴史解釈を刷新した敬愛すべき学者。惜しくも数年前に他界された。

by natsuman | 2012-07-14 17:09 | 教育学習 | Trackback | Comments(0)  

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