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日本人の枠を越える血筋 4/6

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 過日、日光湯元へ行った。泊まった「板屋」には古い歴史がある。ロビーの一隅に何やら少々古びたフライフィッシングの道具が置かれ説明があった。
 鍋島晴雄氏の遺品とある。同氏は鍋島家の17代当主で、昭和の初期この「板屋」に泊まり、当時最高のハイカラな英国式の釣り(フライフィッシング)を楽しんだ。
 その先代の鍋島啓次郞(外交官・貴族院議員)は「丸沼鱒釣会」を結成した発起人で、そのメンバーには赤星鉄馬、岩崎小弥太男爵、加藤高明子爵、樺山愛輔伯爵、西園寺八郎、古河虎之助男爵など、政財界の錚々たる人物が名を連ねていた。
 大正か明治の時代、この地区では盛んに英国式の渓流釣りが行われ、それに始まって湯の湖や中禅寺湖は今もマス釣りの盛んなところである。中禅寺湖畔には国の養鱒研究所(現在は水産総合研究センター・魚と森の観察苑)もある。
 昔日、夏には日本にいる外交官がみなここに集まると云われるほどで、在日の欧米人が夏の酷い暑さを避けてここを訪れた。有名な日光金谷ホテルもそのためだった。
 結果、当然のようにここに欧米のハイソサエティな文化が花開いていく。
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 話を元に戻す。ボクの目がいったのは「丸沼鱒釣会」のメンバーとあった赤星鉄馬氏の名である。かねて日本の最高級のマス釣りクラブのメンバーらしいとは聞いていた。また今ではその功罪がいろいろ取り沙汰されるブラックバスを我が国へ導入した人物とも承知している。
 このお人、どうも普通の市井人では無い。調べると明治から昭和に生きた日本の実業家とある。大正銀行頭取とも。
 父親は赤星弥之助。薩摩の御用商人であった。幕末期から維新時代にかけて英国アームストロング社の代理店として巨万の富を得たという。その兄はまだ鎖国時代に欧州へ密航した数少ない一人である。ここに地球規模にのし歩く血筋が芽生えている。
 息子の鉄馬は中学を出てアメリカに留学。金に糸目を付けない優雅な学生生活を送った。親父弥之助は今の価値にして毎月2800万円もの金を仕送りし、当時多くが労働者として渡った日本人移民に対するアメリカ人の日本人感を払拭するため、日本にもハイソサエティの人がいることを知らしめ、何かスポーツをマスターしてこいと第一級の生活をさせた。それでは放蕩三昧に陥るかと思われがちだが、学業成績は優秀だったという。
 帰国して財政界に腕を振るう。詳しくは知らない。父親が収集した国宝級の骨董美術品を売り立てた時の話が今に伝わってる。趣味は馬の研究とバラの栽培、新橋の花柳界では粋人として知られたという。
 その住まいがまた凄い。麻布鳥居坂の現国際文化会館はかっての屋敷だし、その後に移った吉祥寺の3万坪の屋敷内にはワングリーンがあった。その一部を今は成蹊大学が使っている。その当時の素晴らしい建物が残っている。
 この大物実業家「赤星鉄馬」を祖父に持った男、それがボクの友人だった。だったというのは一昨年70歳で鬼籍に入ったから。
 お互い結婚式の司会をやり合った中である。彼の血筋には曾祖父弥之助を頂点とする気宇壮大な資質が流れている。親戚その他血筋の中には海外で大きく飛躍した人、国内でそれぞれに名を為した人が多数居る。ボクのようなただの庶民の血ではない、何か大きな力が働いているのだ。
 彼は学生時代から云ってた通りに若くして南米に渡り、最後はチリ国で貝類の養殖専門家(元JICA専門家、カトリカルノルテ大学名誉教授)として腕を振るい、ついにはチリ北部のコキンボに貝類養殖産業を興隆して一大名声を得た。そういえば昔「海外で活躍する日本人」としてTVの30分番組で登場したっけ。
 最後に会ったときは、胸に黄金のバッジが誇らしく輝いていた。チリの名誉国民として。
 彼のことを思うにつけ、やはり血筋というものはあるのだと。合掌!
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by natsuman | 2012-04-06 10:00 | 温泉・旅 | Trackback | Comments(0)  

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